仏教講座スケジュール

●古い仏教のイメージから自由になりましょう。心の苦悩・現実の課題を越えてゆくことが、最も大事なこと。思い込みを捨てた時に、ブッダの教えの真髄がみえてきます。
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全国行脚2017始動 

7月18日

全国行脚・岸和田編、完遂。いやこれほど充溢の日程をすごせるとは。Nさんほか地元の方々に深く感謝である。車で運んでもらって、JR東岸和田から大阪⇒新大阪⇒名古屋を経て、中日文化センターにて仏教講座。

今日はサティの実践に加えて、八正道のテキストと、般若心経。三重の会員さんが来てくださっていた。

○○病院のOさんら3名。そして昨年夏に猫の死について相談しにきたカップル。「最近は幸せです」と女性。

午後は、相談3件。子の立場、親の立場、両方からの相談。仏教にめぐりあって過去の苦悩を越えた人の、「私が仏教にたどり着くまで」のライフストーリー。いろんな仏教書をみせてくれる。よく勉強されている。

私の過去の本につき「内容とタイトルが全然違う」という。あの本のことね(笑)。同感でございます。十善戒の部分をコピーして冷蔵庫に貼って、日々実践を心がけているそう。頭が下がります。

どの世界もそうだが、受け取る側が熱心誠実なのに、差し出す側はそうではないというのは、よくある話。この命はそうはあってはならない。

みずからの立場・役割を百パーセントきっちり果たすことである。自分で語る。自分で書く。自分で動く。全身全霊で瞬間瞬間を生きる。その覚悟にしっかり立ち切らねばならぬ。

ひとは、苦しみ続けるために生きているのではない。生まれた時に苦をすでに抱えていたわけでもない。

いっさいの苦は、この世界に生まれて以来、生きていく過程で背負ってきたもので、どんな苦しみも最初に存在したものはない。

となれば、生きているこの人生のなかで、苦しみをすべて降ろすことは可能である。心にはそもそも苦しみなどなかったのだから、その状態・境地に帰ることだ。

つまりは、苦しみの荷物を降ろし、もう一度、軽くて自由で解放された、本来の、天然の、自然[じねん]の心のあり方に、帰ることである。帰ってよいのである。

ただひとは、みずからの心を観るという発想も、そのすべも知らない。その意味で、無知なる生き物である。

親も、子も、すべての人間が、心をもって生きながら、その心を見つめて、心の苦しみを抜ける方法を知らない。

だから、過去の苦しみを抱えて、新たな苦しみを作り出し、どこまでも、重く、霧は晴れず、視界・見通しの悪すぎる道を、とぼとぼと「こっちでいいのかな、たぶんいいのだろう」という程度の手応えで歩いていく。やがてゆきづまる人も出てくる。その道のりを、無明の闇路と呼ぶことは可能である。

だが人間は、「正しい理解」という智慧の光――つまりは明瞭な方法――を持つことで、苦しみの霧の中を生きるのではなく、苦しみの霧を抜けることを、人生の目的にすることができる。

人生の重たく無駄な荷物を降ろして、身軽で解放された快適な心の状態で生きることを、めざすことができる。


人生に苦しみを伴うことは、事実かもしれないが、

人生の苦しみは、この人生のうちにすべて降ろしうることも、まぎれなき真実である。



その真実にめざめて、今いるその場所で、真摯に、誠実に、熱心に、心の苦を降ろして、解放されることをめざすことだ。
そうした生き方こそが、正しい生き方だ。苦を抜けることをめざして、その方法を心がけることこそが、生きることの意味である。

がんばれ、がんばれ、がんばれ、である。これはすべての人々への、そして己自身への呼びかけである。この世に生きる命はみな、しっかりと間違いなく正しいといえる方角をみすえ、思い出して、その道を歩いていくことだ。そうした人生であるならば、どこで旅立ちを迎えようとも、正しい道のりの途中にある。

正しい道のりの途中にあるという事実こそが、人生最高の意味であり、最高の納得、「よし」と思ってよい理由になる。そう思えた時、ひとは人生を成就している。


――そんな感慨を抱きつつ、明日の講座のために新幹線で東京に向かう。この時間帯は、仕事に疲れてシートに沈み込むスーツ姿の人たちが多い。車窓の外には、夜の帳に明滅する人家の明かりが見える。

あまりに忙しく駆け回った行脚最初の旅だったが、印象的だったのは、どこを訪れても、ひとのすまう家並があることだ。
 
その数だけ、私が見知らぬ人生がある――と思うと、せつなくなる。きっとあの家の一軒一軒のなかに、この命が一生出会うことのない、幸せも苦悩もあるであろう。あたかも、けしてつながることのない、遠い彼方の星々のように。私は、けして手が届かないことを知りながらも、手を延ばす。

これほどにひとさまの苦悩・暮らしのそばに近づき、ひとときをともにすごし、容易には見がたい苦悩の原因を見すえて、そこから抜ける方法を共有し、希望への明るい方角を見出す。

かくも創造的で、苦悩から幸福への一本の道すじを伸ばしている実感が持てる旅というのは、そうそうない。これほどの幸福、充溢、発見、貢献、そして感謝と友情を感じうる旅の形は、稀有である。この命は、幸せである。


電車は宵闇のなかを潜[くぐ]って、東京の街並みへと入っていく。艶[つや]めくビルの明かりが、どこか懐かしい。

行脚の旅は、ようやく始まったばかりである。光を越えるスピードで、日本各地を旅していく。


*訪問地、引き続き募集中です。
*ブログでの公開は、旅の記録の一部です。詳細版は、興道の里メール会員さんに随時配信していきます。全国行脚2017年旅の記録・完全版は、興道の里正規会員さんに後日お送りします。

すべりこんでいく 夜の東京