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11月25日
ムンバイからナグプールへの列車で、足のない老夫に出会った。
目は白く濁り、からだは関節が浮き上がって見えるほどに枯れている。

手をあわせてつつんだものを差し出してくる。20ルピー紙幣だ(50円ほど)。

老夫の20ルピーは、軽い額ではないだろう。

この人生は絶望だ、来世に期待したい、これで功徳は積めますか・・・あえて推すなら、そういう表情だ。かの地の布施には、輪廻への信仰がある。

それをうけとる。来世への老父の“希望”をつなぐために。

誤解されていることだが、来世・輪廻は、じつはブッダの教えとは関係がない。
バラモン教にはじまった思想である。

ゴータマ・ブッダは「この人生での解脱」を求め、その方法を説いた。
輪廻は「関係がない」という立場をつらぬいていた。

ところが、ブッダの弟子の7割方を占めるバラモンカーストたちは、図って、また図らずして、
バラモン教の思想・伝統を持ち込んだ。

それ以来の仏教の“輪廻”である。

かの地に伝わる六道も、28仏信仰も、過去世も来世も、
ブッダの教えとはそもそも「関係がない」と思っていい。

ブディズムは、現実のこの人生でたしかめようのないものを説くほど、なまぬるい思想ではない。

もっとも、輪廻への信仰を否定するのかといえば、ちがう。

そういう立場で、老夫の来世への希望を“判断”することはない。

老夫にとって、それが数少ないよりどころとわかるからである。

“決めつける”という心のはたらきがある。

仏教を説く言葉のなかにも、
「経を読む・読まない」とか「輪廻はある・ない」とか、
「この伝統がお釈迦様の教え」と訴える言葉がある。

しかし、なにごとも、前もって答えを用意することは正しくないように思う。

決めつけることで守っているのは、えてして、プライド(慢)、自己満足。
代わりに、真実を締め出してしまう。
たぶんひとの希望をも。

真実は、つねに「状況による」。

「いちがいにはいえぬ」
「わたしにはこれを説くということがない」

というブッダの言葉は、透徹たる理解、そして慈愛(やさしさ)、に基づいている。

もし、絶望が”輪廻”によって癒せるならば、その輪廻は意味をもつといえまいか。

もし、事故・病気が「神様の試練」によって乗り越えられるならば、その神様は意味をもつといえまいか。

もし、故人の人生を想い、ねぎらい、残された者につなぐことができるなら、読経も儀礼も意味をもつといえまいか。

最初から“決めつける”ことにどれほどの意味があるだろう。

行いの意味は、つねに、
相手とのリアルな関わりによって定まる。
それがブッダの思考(ブディズム)である。

たとえば、
相手を理解すること(理解しようという誠実さをたもつこと)。
思いを受けとめる覚悟。思いへの共感。
相手の幸せをせつに祈ること。

大切なのは、いかなる意味・思いに基づいて関わるか、ではなかろうか。

老夫に託された20ルピーは、いつものように、ナグプールで活動している青年たちに託した。

希望は、せめて、あたらしい善意へ――。