仏教講座スケジュール

●古い仏教のイメージから自由になりましょう。心の苦悩・現実の課題を越えてゆくことが、最も大事なこと。思い込みを捨てた時に、ブッダの教えの真髄がみえてきます。
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出家体験記『ブッダを探して』再開インド編は新年1月6日

      くさなぎ龍瞬&興道の里の“ゆく年・くる年”        

新年の仏教ライブは1月14日(土)から
くわしくは★新春講座案内をごらんください。

みなさま、実り多き一年をありがとう! よき年越しを!

     出家、日本をゆく     
年納めブログ日記

みなさん、こんにちは! 司会のくさなぎ龍瞬です(^^)。
いよいよ2011年も大詰めです。
今回は年納めブログ日記ということで、
ゆく年Myベストテンからスタートします。

No.10 赤城の寺子屋オープン
軌道に乗せるまでが大変でしたが、いろんな人が来てくれるようになりました。
来年も、彩り豊かなラインアップで、暮らしに役立つ仏教をお届けしていきます。
煩悩に負ければ人生はマイナスに向かう。
煩悩をコントロールしつつ、人生にプラスの価値を創造してゆくことが、
私たちに共通する方向性ではないでしょうか。
その方向に心の舵(かじ)をとれる場所になりますように。
来年もご声援よろしくお願いします。

No.9&8 座禅エクササイズ&ちょっとマスコミ 
読売夕刊やNHKラジオ、燃える男の夕刊フジなどで座禅エクササイズを
紹介していただきました。カルチャーでの講座の機会もさずかりました。
「座禅」という、一見何もしない、でもたしかに心が育つ方法の面白さをどう伝えるか。
カタチだけ作って自己満足、というこれまでの座禅ではなく、
「心をどう働かせるか」という実質をきちんと伝えていく合理的な座禅を。
より多くの人が興味をもてるような魅力的なパッケージに仕立てていくことが目標です。

No.7 豊島文化カレッジオープン 
今年さずかった教室の中で一番年齢層が高い。ほとんどの方が六〇歳以上。
必然的に語る内容もほかとはちがってくる。仏者としての役割・責任をも実感する場所。
根本的な願いは、みなが元気で末永く通ってきてくださること。
どうかこの仏縁が長く続いていきますように。みなが幸せでありますように。
ご近所に東北からいらしている方々のサロンがあると判明。招待席をご用意した。
巣鴨でよきひとときを過ごしていただければと願います。

No.6 最初の本を出版 
くさなぎ龍瞬の執筆方針は、
*ひとつの体系・骨組みがあること(=ただ項目を並べただけではない)。
*ブッダの思考法(発想法)が読みながら身につく作りであること。
*「現実に役立つ」という実用性にとことんこだわり、仏教を大胆にアレンジすること
  (だから古い・難しい言葉で語った気にならない・わかった気にさせない)
そして、
*方向性がクリアであること。
方向性とは、この時代この国に必要なあたらしい価値を創造すること。
現実改善の役に立たぬものは仏教ではない(=必要がない)、という立場でいます。
たとえば、さずかったものをインドに持って帰る、
将来どこかに里のような場所を作る、
そういうアウトプットを意識して活動をつくる。
何をするにしても、目的意識=方向性が大切だと思うのです。
仏教を、この命を、ただの言葉(戯論/けろん)で終わらせないよう自戒しつつがんばります。

No.5 炊き出し説法 
都内某所の炊き出しにボランティア参加させていただくことに。
毎回ホームレスのみなに仏教を語る時間を授かりました。
長いこと炊き出しという地道な活動をされている団体様がたくさんあることも知りました。
そういう心篤き人たちと一緒にいると、心がすがすがしくなります。
よき出会いを授かりました。新年もよろしくお願いいたします。

No.4 法事 
日本での法事(49日法要)を勤めさせていただいた。
産婆さんが命を迎え入れる仕事なら、仏者は命を送り届ける役目を負う。
ご遺族にとっては悲しい出来事でも、葬儀・法事という儀礼を介することで、
故人とのあたらしい関わりを生きていくきっかけとすることができる。
そういう可能性を実感できた機会でした。
ご縁いただいたことに深く感謝申し上げます。

No.3 クリスマス仏教ライブ 
なぜクリスマスに仏教か、といえば、愛を学ぶよき機会だから。
一般にいわれる愛は、仏教では5種類の異なる感情を含む。
さらには、あまり語られないがまぎれもなく愛に含まれる感情がプラスひとつある。
そういう部分を明確にすることで、クリスマスが、仏教が、より意義深いものになる。
毎年恒例にしたい。新しい人もひさしぶりの人もきてくれました。心からありがとう。

No.2 ありがとう/感謝 
つながりなくしては、いかなる命もつづかない。
この活動は、私ひとりの仏者としての思いから始まったけれど、
それが一年無事やり通せたのは、来てくれた人たちがいたから。
みなさんのおかげで、この言葉・活動に血が通うようになった。
今年一年の出会いに感謝合掌です。

No.1 今この一瞬 
お気づきかもしれないけど、このベストテンは、
1月からの出来事を時系列で並べただけのもの。
というのも、ベストもワーストも、仏者は判断しないから。
最後に確かめるのは、今この一瞬の思い。
無駄な思考・感情はないか。
感謝といつくしみという心の軸からずれてないか。
今この一瞬の心が、必ず何かの結果につながる。
だから、よき心を保つ努力が何より大事になる。
すべての答えは今一瞬にある。

くる年  (ご~~~~ん♪(除夜の鐘の音))

そして新年・・・(2555年/2012年)

大きな予定がいくつかあるけど、未来のことは妄想の領域。

それより、今日一日、今ひととときの”密度を上げる”ことをめざします。

今を未来へのよき原因とする(=よき原因となるように今を作る)・・・
それが正しい思考であるにちがいない。

実り多きよき一年となりますように。
 
みなさんのくる年が慈愛にみちた一年となりますように。

では新年にお目にかかりましょう! ありがとう!!

(ご~~~~ん♪)

ある出家の半生記『ブッダを探して』火・金連載(クリック)

 もうすぐ! クリスマス仏教ライブ 

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年内ラストのブログ更新は12月27日の予定です。

 出家、日本をゆく(ブログ日記) 
12月13日(火)

今日も都内某所で坐禅エクササイズをした。

全員女性だった。みなすごく真剣に取り組んでくれた(^v^)。

近頃感じることだが、坐禅は女性のほうが才能があるかもしれない(妄想)。

素直に聞いて、まっすぐに取り組む。
「感覚」を、男より理解しやすいのかもしれない(妄想)。

男は(性別で分けるのも厳密には妄想)、観念(ことば)が好きな生き物かもしれない(また妄想)。

理屈や知識・思考でとらえようとする人が、道場でもけっこういる。
一生懸命カタチは頑張るのだが、心は成長しない様子である。多くは男性である(妄想ラスト)。

3ヶ月ほど通ってきている女性たちは、2時間歩き続け、1時間以上微動だにせず座っている。
最初の頃を思えば、長足の進歩。成長がめざましい。

坐禅は、たとえば富士山を登るようなもの。
登っていくと、まったく違う感覚を味わう。見える景色がちがってくる。

1時間、2時間と、姿勢を崩さず、座り続け、歩き続けられるひとは、着実に2合目、3合目と登っている。

そういうひとは、今のところみな女性なのである。

道場に来て、座禅の手ほどきを受ける。これは富士山の登り方の基本を学ぶのと同じことだ。

「(登り方)分かりましたかー?」「分かりましたー」

「じゃ、次から実践です(実際に登りますからねー)」「ハーイ」

といいつつ、大半のひとは、登山口からバスに乗って帰ってしまう・・・。
実際に登ろうとしないのだ。

登ってみるといいのに。まったく違う体験ができて、びっくりするだろう。

坐禅の奥の深さを知れば、、どの道どの分野でも、こういう奥の深い世界があるのだろうな、と実感として分かる。
道の深さを知ることは、ひとを謙虚にする。

アタマだけで考えたり、ひとを安易に判断することの浅はかさも、分かるようになる。

たやすく判断すべきでない。分かった気になるべきではない。
そういうことも、坐禅を通じて見えてくる。

ともあれ、熱心で才ある女性の方々に各地で出会える仏者はさいわいである(素直な感想)。

この日々がより豊かに広がっていきますように。

リアルな出家体験記『ブッダを探して』火・金連載(クリック)

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年納め・座禅エクササイズとクリスマス仏教ライブ
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 出家、日本をゆく(ブログ日記) 
12月5日(月)

「なぜ自分は生きているのだろう?

この国では年間3万人もの、この十年で30万人を超える自殺者がいる。

なのに、その30万人の中に自分は入っていない。なぜだ?

たとえば今日の炊き出し。誰が作ってくれた? どこから運ばれてきた?

中に入っている具材は、もともとどんな姿で生きていたのだろう?

今日この日の小さな食べものにさえ、無数の目に見えないつながりがある。

たとえばこの一呼吸。この空気はどこから来た?

十数億年もの植物たちの働き、小さな緑の中の光と二酸化炭素の組み合わせによって、送り出されてきた。

この一呼吸は、どんなにひとりぽっちでも、絶えることはない。

ここにも、目に見えぬ無限のつながりがある。

私たちは何によって生きていられるのだろう?

つながりによってである。

砂漠の中で道を見失おうと、氷の原で寒さに凍えようと、

この渋谷・新宿で冬の雨にたたられようと、

生きているということは、つながりが生かしてくれているということなのだ。

「生きなさい」、「生きていい」と言ってくれているのである。

ひとりの人間がどんなに孤独に陥ろうと、ひとの愛情をこばもうと、どこまでいっても、

このつながりからは逃れられはしない。

つながりは、無条件で、この命を支えてくれている。

だから、家があろうとなかろうと、仕事が見つかろうとなかろうと、そんなことはどうでもいい。

生きられる限りは、生きていい。

堂々と、誇りをもって、生きているかぎりは、自分は生きていいんだ、と生きていこう。」

前回の“いつくしみ”につづいて、今回は“つながり”(法縁)。

言葉ひとつでも、心に種としてあるか否かでかなりちがってくる。

何人ものホームレスが、感想を語りかけて来たのが印象的だった。

代々木の炊き出しにて

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 出家、日本をゆく(ブログ日記) 
12月1日(木)

タイ、ビルマの仏教に関するドキュメンタリーをみた。

どの地の仏教も、体験ずみ。
「なつかしい」と思っていいはずの光景が映ってる。

ところが、実感がない。映像からよみがえるはずの、
現地の空気や、托鉢の味や、寺の雰囲気が、まったく生まれてこない。

自分はたしかにあの中にいた。
でも、完全に今の体とは切り離された、別人の自分がいたのだな、としか思えない。

記憶はあるのだけど、リアリティが伴わない。
記憶喪失のひとが、昔いた場所を写真で見ているような感じ。

記憶を切り離すすべを心得ているからか。
思い出しても気づくだけで反応しない。だから、感情もよみがえらないのか。

そうも思ったが、もうひとつ、決定的なちがいがあった。

あの頃のこの命は、渇愛・飢渇=はげしい心の渇きで一杯だったのだ。

求めるがゆえの、失望、焦り、迷い、怒り・・・まさに修羅の世界にいた。

今は、その炎がないのである。

当時は・・・否そのずっと以前から、
この命は、求めては失望し、の繰り返しだった。

よくあそこまで求め続けて、さまよったなあ、と憐れむしかないくらいの彷徨いようだった。

そこから抜け出した今の心では、当時見ていた世界がリアリティをもって思い出せないのである。

切れちゃってる・・・。

心の質が変わったことを改めて知る。

とはいえ、現地の映像見ていると、
またタイでひと夏(3ヶ月)激しく修行したいな~、とか、
インドでバリバリ活動したいな~とか思う(なすべきことはたくさんある)。

でも、いまは日本でがんばって働かなくちゃ、と思う。

働いて、あたらしいタネまいて、

それが花開いてきたら、インドにも帰れるだろうし、タイにもいけるだろうし、

何より、この日本社会で、新しいタイプの活動を広げてゆけるようになる。

今はタネまきの時期なのだと思う。

開かせたい花は、どんな花か。

難しいものじゃない。

ひとと出会って、喜ぶ顔をみて、
悲しみや苦しみがちょっとでも癒せる現場にたちあえること。

もっとシンプルにいえば、
いろんなひとと、ひとしく、善き友だちでいつづけること。

その繰り返しだけで十分だと思う。

“このまま、生きていけますように――”

そんなこと思えるようになったのは、ほんとごく最近です。