仏教講座スケジュール

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出家体験記『ブッダを探して』

   ブログ日記 “出家 日本をゆく”   
3月22日更新しました。

★4月8日(日)新生活応援ライブ「修行したい君に贈る言葉 目的成就の10カ条」
★4月15日(日) 入門・座禅エクササイズ
★4月28日(土) おとなの寺子屋 テーマ自由の仏教学習会
講座ラインアップは★春の講座案内をごらんください。

台東区上野で夜のカレッジ開催決定!6月13日から

3月22日(日)

座禅道場では、毎回新しい出会いがある。

しかも、みなとても熱心に取り組んでくれる。

座禅のひとつのコツ・目安は、

「静寂な心の状態に慣れる」こと。

普段のいろんな考え事でぐるぐる回っているアタマの状態を、ストップする。

それは回り続ける洗濯機の電気を抜くようなものかもしれない。

中に入れた水が、渦を止め、波が止み、それこそ波紋すら立たない静寂へと化す。

その「しん」と静まりきった状態に達すると、
時間が止まる。

あれほどざわざわ、そわそわと動いていた心がぴたりと止む。

最初はうろたえるくらいの静けさである。

ただ、それが終わりではない。そこからが本当の始まりなのである。

道場では、この「静寂に持っていくやり方」を工夫している。

場数を踏んで慣れてくれば、静寂に入る時間が短くなるだろう。

もちろん自宅でもできるのだが、やはり道場でみなと一緒にやるほうが集中できる。

一度、静寂に達した人はこう思うだろう。

こんな安らぎがあったのか!」と。

まったく異質の幸福感である。

その心境に近づいていってくれたらと願いつつ、工夫を重ねています(^^)。

今度の入門は、4月15日。
レギュラークラスは、午後に持ってきましょうか。時間たっぷりとれるし。

仏教ライブも、ペースを落として、じっくりやっていきます。

心の本筋を取り戻す、道に帰る、というイメージで、

月に一度でも二度でも、たまにでも、
来てくれたらと思います。

次第に、「里」の核になる空気というか、進め方が見えてくるだろうと思う。

何事も続けていくことですよね。

窓の光に知る 春はそこまで

出家体験記『ブッダを探して』灼熱インド編

   ブログ日記 “出家 日本をゆく”   
3月15日更新しました。

★3月18日(日)午前10時~3時半 ゆったり座禅エクササイズ
3月20日(祝)午前/午後の部 座禅入門 おもしろ講義と実践
★4月1日(日)新生活応援トーク「雑念を斬る。~ムダな心の片づけ方」
講座ラインアップは★春の講座案内をごらんください。

3月11日(日)に考えたこと(前回のつづき)

どのような問題であれ、
問うべきは、「自分にとっての意味」である。

「意味」は、理屈・解釈だけでは完結しない。
(それをブッダは「戯論」(けろん)=知的遊戯と呼んだ)

自分はどう関わるか。どう動くか。
そこまで考えて初めて、ひとつの思考は完結する。

昨年の3月11日、私は都内某所にいた。
他の帰宅困難者に混じって、歩いて棲み処に戻った。

私の場所には、テレビもラジオも新聞もインターネットもない。
何も持たぬことを、出家の流儀と理解していた。

その結果、彼の地で起きている現実を理解できる状況にいなかった。
(今も理解できていないと思っている)

もちろん、それでも起きていることの重大さ・深刻さは伝わって来た。

何ができるのかといえば、
自分で開いている場所でチャリティ企画をやるくらい。

だが、単身で活動を始めたばかりの出家が集められた額は
じつに情けないものだった。

出家前に、
とある社会福祉施設でボランティアをしていたことがある。
そこでは、名前も素性も伝えないで(そこでの働きに必要なかったから)自然に働いていた。

別にボランティアとしての身を意識することもない。
ただその場に身を置いて、必要とされている仕事をやる。
それだけのことだった。

そういう、
ごく自然にその場の働きの一部になれる性分でありながら、
かの震災については動くことができなかった。

すぐにでも、何かできることを見つけて、彼の地にいく。
それができる性分だったし、そうすべきだとも感じた。
しかし、都内各地での教室が始まっていて、
日を空けることができなかった・・・。

せっかく出家という、
何でも自由に「よき働き」ができるはずの身の上に立てたのに――。
私は忸怩たる思いで都内で日々を送ることになった。

その頃、一番変わったのは、「関わり」である。
いくつかの仏教団体に声をかけてもらって、法話をしたりしていた。
だが、彼の地の現実に対して動こうとしない団体もあった。
そういう団体からは離れることにした。

この時期にいくつか途切れたのは、「本気のない関わり」である。

働ける場所はないか?と探し始めたのは、それからだ。

きちんと“行動”から入る人たちを見つけた。
尊い出会いを授かった。

私は謹んでその場所に飛び込み、
その一部となって働かせてもらいたいと伝えた。
そのご縁を今も頂いている。

被災地に一度入ることが出来たのも、
今都内でやっている炊き出し説法なるものも、
そのご縁の賜物である。

自分ひとりでは動けなかったことが、
ひとつの出会い・つながりを得て、できるようになる。
この心の素直な発露として、具体的な行動ができる。
ほんとうにありがたいことだと思う。

こういう、必要な働きをきちんと果たせる関わりを
大切にしていきたい。

そして、自分自身の活動も軌道に乗せて、広げて、
いざ何か大きなことが起きた時には、自然に動けるように、
条件を整えていきたい。

改めて伝えたい。
理屈・解釈は、「どう動くか」という問いとセットではじめて意味をもつ。

この「正しい思考」を心に留めておきたい。

一出家の歩幅はあまりに小さいけれど、大切にこの道をのばしていきます。

最後にもう一つ――

いずれは、自分自身が当事者になる。
慎んで、今を大切に生きよう。 


みんなが命をまっとうできますように。切に祈ります。

出家体験記『ブッダを探して』更新しました

   ブログ日記 “出家 日本をゆく”   
3月11日更新しました。

3月15日(木)午後2時~4時 巣鴨・暮らしに役立つおもしろ仏教講座
★3月18日(日)午前10時~3時半 ゆったり座禅エクササイズ
3月20日(祝)午前/午後の部 座禅入門 おもしろ講義と実践

講座ラインアップは★春の講座案内をごらんください。

3月11日(日)

今日の講座は、チャリティとして実施しました。

皆さんからの参加費は復興支援に当てさせて頂きます。

総額と送り先は、後日、メールで報告しますね。・・・・・・

痛みを感じ取る時間とは別に、

今も続くこの出来事について、どう考えるべきかという話をした。

震災そして津波(原発という人為的問題はここでは除いて考える)
という災害について――

たとえば、
ある人は「天罰」を語った。

でも、端的に思う。

「天罰」を語っていいのは、
自分の身に降りかかった災難についてだけだ。

「天罰」は、自らの罪を自覚する言葉としてのみ、使うことが許される。
ひとさまの災難について向けるべき言葉ではない。

「無常」を語る言葉もあった。
災害は自然の法則であって、世の“無常”を冷静に受け止めるようにと。

率直に言おう。
「無常」なるものは、現象への「受けとめ方」(解釈)を表す言葉にすぎない。
自分はこう解釈します、と言っているだけ。
そこで止まってしまっては、思考は完結していない。

ブディズムでは、考えのフォーマット(定式)というのがある。

ひとつは、自分の物事とひとさまの領域とをはっきりわけること。

もうひとつは、
事実を、
①そのままに“理解”し、
②その上で自分にとっての“意味”を考え、
③その上で、自分は“どう動くか?”までを考えること。

ひとつの現実を、言葉であれこれ「解釈」する(論じる)ことは、
それが解釈(理屈)にすぎない限り、極端な話、妄想の域を出ない。

ましてや、その妄想を語る対象が、ひとさまの奪われた現実であるとき、
その言葉に一体どれほどの確かな意味があるのだろう?

この一年、彼の地の「現実」に対して、
どれほど多くの「解釈」が交わされたことか。

「自然への負債」「神の意志」「無常」「祟り」……
(「天罰」は消去する。あまりに上から目線の論評である)

興味深いのは、このような「解釈」だけで
議論・思索が終わってしまっていること。

もちろん語るのは自由だが、
その言葉が確かな意味を持つには、

“もう一歩先”まで考える必要があると私は思う。

つまり、
その現実に対して、
では、自分はどう関わるのか(向き合うのか)?
という問いだ。

現実を理解する⇒思考する(解釈する)⇒どう関わるか・どう動くかを考える⇒動く。

そこまで考え詰めて初めて、思考は完結する、のだと思う。

「ということを私が語っても誰も聞いてくれませんから、
ここでお話します」というと、みんな笑ってた(私)。

(つづく)

リアルな出家体験記『ブッダを探して』3月9日更新予定

   ブログ日記 “出家 日本をゆく”   
3月4日更新しました。

3月10日(土)午後2時~4時 仏教講座「なぜひとは変われないか?」
3月11日(日)はチャリティ版
午前9時半~12時 入門・座禅エクササイズ
午後1時~3時半 神楽坂・おとなの寺子屋 テーマ自由の仏教学習会
3月15日(木)午後2時~4時 巣鴨・暮らしに役立つおもしろ仏教講座

講座ラインアップは★新春講座案内をごらんください。

3月4日(日)
今回の「雑念を斬る。ムダな心の片づけ方」

出発点は、

「大事なモノゴトに集中できない心の状態はもったいない」

ということ。

ただ、人間には、集中できない心理状態=雑念なるものが、
目に見えない。

ときに、雑念にまみれていることすら自覚がないことがある。

でも、自分の心の状態が見えないというのは、

よくよく考えてみると、かなり危なっかしい。

今回やった、「感情と、判断と、○○と、○○で分ける」

というのは、「言葉で心の状態を分類する」ことで、

適切な処理方法(=雑念の払い方)を組み立てるというもの。

お医者さんなら、症状をみて、病名を判断する。

病名がはっきりすることで、過去の治験例に照らして、
治療する方法を検討することになる。

心についても、

「今の自分の心理状態がどういうものなのか」

を自覚してから、その心への対応策を考えるべき。

怒りやストレスといった不快感情には、
ブディズムの基本である「気づき」が有効。

神経質とか完璧主義とか自信がないといった、

自分自身への「判断」(思い込み)なら、

その判断を脱け出すために、

新しい思考のフレーム(考え方・受け止め方)

を作り直してやればいい。

自分の思い込みにこだわると、

状況の変化に対応できなかったり、
相手の思い込みと衝突してケンカになったり、

「自分はダメ」といったネガティブな思いこみから脱け出せずに
ストレスを溜めこんでウツに落ちたりすることもある。

たぶん、こういうマイナスな思いこみから脱け出すには、

①気づいて手放すという方法とともに、

②「こう考えればうまくいく」という新しい思考フレーム

を習慣化する必要があるのだろう。

今回は、「雑念斬りのフレーズ」としてまとめてみた。

ひとによって心にヒットするフレーズはちがうはず。

みなさんぜひ、今回紹介したフレーズや、
新刊にちりばめられる表現を、カスタマイズして、

お気に入りのフレーズを作ってみて下さいね。

もうすぐ春!

生活が一新する季節がもうすぐ来ます。

みな頑張りましょう!