仏教講座スケジュール

●古い仏教のイメージから自由になりましょう。心の苦悩・現実の課題を越えてゆくことが、最も大事なこと。思い込みを捨てた時に、ブッダの教えの真髄がみえてきます。
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①お名前、②都道府県、③近況(本の感想・知ったきっかけ等も可)をひとこと 書いて koudounosato@gmail.com まで。※フリーメール着信拒否の設定になっていないか、ご確認ください。
●廃寺・空き寺・日本家屋を募集中! 生き方と教育と仏教をひとつの場所で――ご提供くださる方、ぜひご連絡ください。

オリンピックに感じるもの

7月30日(月)
オリンピックが始まりましたね。
私の部屋にはテレビはないのですが、お昼時によくいる場所にテレビが置いてあって、世俗に疎い出家でも、現地の様子を見ることができます。

正直、私にはオリンピックの試合中継というのは、けっこう“痛々しい”。少なくとも、心躍るとか、応援して楽しむとかいう場面ではありません。

というのも、選手一人ひとりが、どれだけの歳月を、地道なトレーニングに費やしてきたかを想うと、めまいのようなクラクラ感を覚えるから。

彼・彼女たちというのは、自分の肉体ひとつで現実と向き合うしかない。
外の人たちは、選手たちの活動を、評価して、審判して、応援して楽しんで、勝った・負けたという情報として処理できる、いうなればお気楽な立場にいる。
でも、選手たちは、周囲に目を向けている余裕などなく、自分の肉体との対話に集中するしかない。それも短期間ではなく、十年単位の長い、長い期間をだ。
選手たちの多くが、生涯の大半を、朝から晩まで練習にあけくれて、怪我したり疲労やスランプと闘ったりして、あの舞台に立っている。

自分自身があの舞台に立っていると想像してみたらどうだろう。自分の小さな体ひとつ。巨大な会場。言葉の通じない審判員やら観客やら。そして周りには、自分と同じように計り知れない量の訓練をしてきた異国の必死の選手たちがいる。何一つ支配できない圧倒的に巨大な空間に、身ひとつで立っている。

何年も、十数年も、ひとつの舞台を追い求めてひたすら練習してきて、本番では瞬間ですべてが終わる。自分のパフォーマンスは、数字で評価されて、順位が決まる。
メディアは勝者だけを追いかけ、それ以外の者たちは負けをかみ締めて去っていく(「皆さんに申し訳ありません」なんていわなくていいのに――誰が言わせているのだろう)。

勝った選手の涙も、負けた選手の涙も、途方もない孤独な練習の歳月からにじみ出てきている。
その涙の重たさは、取材する側のメディアの人間や、涼しい場所でテレビ見て一喜一憂している一般の人たちはけっして共有できないものだろう。
隔絶された涙。たまらない寂しさを感じても不思議でない涙。

勝った選手には深い敬意を感じるけど、負けた選手にも、私は同じくらいの敬意を感じる。「初戦敗退」とだけ報じられるその活字の向こうにいる無名の選手たちにも。

これまでの目に見えない一生懸命を想うから。

オリンピックの舞台というのは、生身の体ひとつで一瞬の勝利に賭ける選手たちが一挙に集まる場所だ。
彼・彼女たちの目に見えない無数の一生懸命を、凝集して見せつけられる場所。
だから見ていて痛々しくなる。厳かな気持ちになってしまう。楽しいものじゃない。

彼・彼女たちが体で知っている一生懸命を、自分は知っているだろうか。
なんだか、ほとんどの時間を妥協まじりに生きてきた感がしなくもない。
見つめていると、そんな気持ちにさえなる。

すべての選手に愛(敬意)を――。


はみだし人生相談室 新聞投書に仏教で回答

7月26日
「はみだし人生相談室」をオープンしてみて感じたのは、

新聞に投書する相談というのは、けっこう深刻で切実なものが多いということ。

私は立場上、パーソナルな質問・相談も受けることがあるけど、
それはプライバシーに関わるので、このブログではなかなか紹介できない。

その点、新聞の投書なら、オープンさを前提にしているから、こういう場で取り上げることもできる。多くの人と一緒に考えることができる。

新聞紙上では、回答者は一人だけだし、
もし相談者が回答に納得いかなくても、質問を重ねることができない。
回答が、その相談者にいつもベストだとも限らない。

相談内容の深刻さを考えると、これって“課題”かもしれない。

せめて、切実な相談内容については、セカンドオピニオンがあるほうがよいのではなかろうか。

そういう意味で、始めてみたのです。
仏教に基づいて回答を組み立てると、けっこう違った内容が出てくる。
悩みを解決する技法として、仏教はお役に立てるかもしれない。

お手元に新聞がある人は、オリジナルの回答と合わせてご覧いただければと思います。

何より、ご相談者本人がこのブログを見つけてくれたら、とささやかに願っています。

今回はこのテーマ:

昨年産んだ息子に憎しみ (読売新聞「人生案内」2012・6・25)

●息子を出産して一年の20代主婦。

出産後は、「目や頭、顔など息子の全てに腹が立つ毎日」。
「ただあおむけに寝ているだけの生き物に、なぜ私が24時間束縛されるのか」と思ってしまう。

身内・友人の前ではかわいがっているふりをしている。実の両親を早くに亡くして、頼れる人も、本音を言える人もいない。
「私の心はもう、悪魔と同じ汚いものです。誰か助けてください」。

●はみだし回答

一番自然に伝えられるところからお伝えすると、
自分の生んだ子供をかわいく思わなければいけない理由は、本当はありません。

心というのは、どんな思いだって持てるものです。
だから、子供のことをかわいい・愛おしいと思う人もいれば、子供が憎くてたまらないと思う人だっているはずです。そのことは自体は自然なこと。

だからあなたの心が「悪魔と同じ汚いもの」だとは、私は思いません。――

つづきは、http://hamidashisoudan.blogspot.com

真夏の夜の思い出

7月24日
*「はみだし人生相談室」をオープンしました。http://hamidashisoudan.blogspot.com/

大手新聞の人生相談コーナーを使って、「こんな考え方もありますよ」と提案するもの。けっこう切実な悩みが多いので、一緒に考えてみたくなったのです。
仏教を一般的な悩みに用いると、どんな回答が出てくるか?
興味ある方はおつきあいくださいね。

*ひとつ夏の思い出話を――

出家の覚悟が固まる前の、とある夏の夜のこと。

その夜は、その夏はじめて訪れた東北の小さな禅寺から東京へと帰る移動の途中だった。

路線を間違えて山形方面に向かっていることに気づいた。十八切符の鈍行の旅だったから、乗り間違えで時間を食うわけにはいかない。途中であわてて降りた。

一瞬、闇の中に落ちたか、と思った。

駅は、夜の帳にひっそりと沈んでいた。人ひとりいない。改札もない小さなプラットホームに、明かりの切れた外灯がひとつあるだけだった。
レールの向こう側には、底知れぬ闇がしんと広がっている。
ホームの端まで行って辺りを見たが、墨色の空漠が網膜に映るばかりで、人家の気配はない。

失敗した、と思った。心細さに心臓が掴まれたように感じた。

致し方なく、ホームのベンチに腰かけた。習いたての、呼吸に意識を合わせるという禅の作業に努めるようにした。しばし目をつむる――。

すると、かすかに聞こえてくる音があった。

水の転がる音だった。川が流れているのか。しかも近い。

立ちあがって、その方角を見やると、黒い虚空の中からせせらぎの音が聞こえてくる。足下の低い方からも音がする。その水音は、闇の中を駆けあがって上方へと伝っていく。

気配を感じた――自分がいる場所は山の斜面で、すぐそばに谷底があるのだ。そしてその向こうには、もう一つの大きな山がせり立っている。

さらに耳を澄ますと、音が流れ込んできた。

虫たちの鈴唱だ。気づいた途端、その音は激しさを増した。
響いてくるのは、渓流の方角だけではなかった。四方八方の闇間から隙なく密に流れてくる。虫が奏でる高く澄明な音に身を包まれていた。

このときほど、見える世界が鮮やかに変わった体験をしたことはなかった。
不思議な視力を得たかのように、暗闇から恐怖が消え、山々の存在を感じ、そこに息づく無数の生命が透けて見えるように思えた。

清流は、山の葉をふんだんに溶かし、魚(うお)や虫や微小な生き物の棲み処となりながら、山間を昼と変わらぬ速度で烈しく滑り落ちているだろう。

山々には、鳥や獣や昆虫たちが今もせわしなく動き回り、幾千万の樹木が枝葉を抱えて静かに大きく呼吸し続けているだろう。

目の前の闇から目を離して、上方を見上げた。

めくるめく星々が、宙(そら)いっぱいに瞬いていた。

なんということだろう――至るところに生命が溢れているではないか。足元にも、天空にも、目前の暗がりにも。どこにも無などない。

この星は、猛烈なスピードで銀河の中を回り続けている。
今この場所はたまたま星の影にあるが、まもなく暗がりを抜けて、燦々たる光の中へと再び入るだろう。

光がなくて恐怖を感じているのは、私だけかもしれない。

光があるとないとに関係なく、この星は、生命の豊饒の中にある。

一晩中ここにいてもいいと思った。
これほどに生命が宇宙に満ち満ちているのを身近に感じたのは、初めてだったから。

――生きる場所にこだわらなくていいという思いは、あの日以来いっそう強くなった気がする。

どこでも生きていけるし、どこで停まってもいい。そう思っている。

この命は、どの場所にあっても、無窮の生命とともにあるのだから。


座禅=ヴィパッサナーの極意!? その2

はみだし人生相談室オープンしました
新聞・雑誌の人生相談に、「こんな考え方もありますよ」と“はみだして”お答えするコーナー

(つづき)
ちなみに、坐禅エクササイズをしばらく休んで久しぶりに来た人を見ると、
「先を急いでいる」ココロの様子がありありと見えることがあります。

「雑になったな~」と丸分かりです(^-^;)。

歩く禅をやっているのに、「上げている、運んでいる、下げている」がまともにできない。
なるべく早く歩こうとしている(早く歩くことはその場では必要ないのに)。

こういう姿を、「俗化しちゃった」と言います(笑)。
「ココロのクセが戻ってしまった」とも言えるかもしれない。

当たり前のことを当たり前にできることが、最も優れたココロの能力のはずです。そう思いませんか?

歩くべき時は、心尽くして歩く。
立つべき時は、心尽くして立つ。
進むべき時は、心尽くして進む。

それができてはじめて作業は正確に、早くこなせるようになる。
人生を無駄なく生きられるようになる。
やみくもに「早く」というのは、「雑」なだけなのです。

とにかく「いっときに一点の感覚に集中する」ことを心がけましょう。
他の感覚は「捨てる」。一つの対象に意識を絞り込む。(精進=努力する)

いかがでしょうか。禅=ヴィパッサナーは奥が深いのです。

たいてい、その深さを理解する前に降りてしまうのですけど……(笑)。

私も工夫して参ります。

そうそう、どなたか、メトロノームのいらないのがあったら、ご提供下さいませんか。歩く禅に使ってみたいので(掲示板?)

座禅=ヴィパッサナーの極意!? その1

★7月22日(日)午前10時から おとなの寺子屋 
聞きたいことをピンポイントで聞ける座談会スタイルの法話
内容充実で、しかも楽しい

7月20日
神楽坂の受講生の方からこんなお便りをいただきました。

「折にふれて全身の感覚を感じるように心を使ってみたりしています。
主に、街を歩いている時に実践することが多いです。
まだ始めたばかりなので、そうそううまくいかないものだとは思いますが、
全身の感覚といっても、聴覚も、視覚も、触覚もあり、なかなか忙しいものですね。
全身の感覚を同時に意識することはまだ難しく、
「音だ」「景色だ」「風だ」「気温だ」といろんな要素に気を取られ
かえって落ち着かない気持ちになったりしてしまうのですが、
優先的に感じる感覚というものはあるのでしょうか?」


実は、この方の感想は、かなりスルドイところを突いています。
「優先的に感じる感覚」、言い換えれば、「その時々に最も顕著に感じる感覚」に意識を向ける、というのがヴィパッサナー瞑想(禅)の基本方針なのです。

「最も顕著」というのは、その時の自分が一番感じ取りやすい感覚。
人によっては、
鼻先の呼吸の感覚。あるいは、腹部のふくらみ・縮み。
歩いている時の足の裏の感覚。
座っている時の足の痛みやかゆみなんていうのも、「最も顕著な感覚」なら、その感覚に集中します。観察する。「痛み、痛み」「かゆみ、かゆみ」というように。

そうやって、一点(どの感覚でもいい)に意識を向け続けることで、集中力を上げていきます。
もし、途中で他の感覚の方が強くなってきたら、そっちに意識を向けます。
意識を向ける対象は「変わっていい」というのが、ヴィパッサナー瞑想なのです。

「音」が一番気になるなら、「音、音」と気づきます。
「風」が一番気になるなら、「(風を)感じている」「(肌の)感覚」と気づきます。
「気温」の場合は、「(暑さを)感じている」「(冷たさを)感じている」と気づきます。

視覚(見えている感覚)・聴覚(音)・嗅覚(匂い)・触覚(肌の感覚)・味覚(味を感じている)――どの感覚なのかを自覚しながら、そこに意識を向けて、感じ取るのです。

一番顕著な感覚を選んで、なるべく長時間、その感覚に集中する(気づき続ける)というのが、ポイントです。

ここで理解しておきたいのは、意識というのは本来、「いっときに一点にしか向けられない」ということです。
集中とは、本来、他の感覚に意識が向かわない状態。

実際、「禅定」というハイレベルの集中に達すると、たとえば腹部の膨らみ縮みだけ感じて、他の体の感覚や音の感覚は「消える」ようになります。

だから、「全身の感覚を同時に意識する」ことは、ほんとは不可能なのです。「同時に」というのは、それだけ意識がバラけて、いろんな感覚に散り散りになっているということ。そこから、意識を向ける対象を一点に絞り込んでいくのです。

なお、気づきの力が強くなってくると、めまぐるしいスピードで、細かい感覚の一つひとつを「気づいてキャッチ」できるようになります。比喩的に言うと、超高速のモグラたたきみたい。意識(気づき)というハンマーは一つ。握っている手も一つ。その手が、出て来たモグラ(感覚)を瞬時に捉えて(気づいて)、また次のモグラ(感覚)へ――という感じです。

ココロというのは、私たちが想像する以上のハイパーなスピードで、感覚・感情・思考・欲求などを生じて滅するという現象の連続体なのです。
ただ、私たちの気づきのスピードがあまりに遅いために、その心の生滅が「見えない」(気づかない)。

「見えない」現象を「見える」ようにするために、ヴィパッサナー瞑想(坐禅)の最初の段階では、大きめの、ゆっくりと出てくるモグラ(=顕著な感覚)をまずは確実に叩く(気づく)という練習から始めるのです。

それが、「吸っている、吐いている」とお腹の膨らみ縮みに気づく、
「上げている、運んでいる、下げている」と確実に気づくというやり方です。

これを「ていねいに、着実に」こなすことで、徐々に気づきに慣れ、気づきの力を上げていくのです。

ですので、まずは、「いっときに一点」の感覚に、「着実に言葉で気づく」というのを心がけることになります。とにかく、「いっときにひとつの感覚」。

あわてない。急がない。確実に、気づく・確認する。手堅く、ココロを尽くして、です。

(つづく)

自然葬のココロとは?

7月18日
先日、自然葬を主催している関東のお寺に見学に行ってきました。

自然葬というと、遺灰を海にまいたり、森に散骨したりというイメージがあります。
このお寺の場合は、境内の竹やぶを切り開いて、そこに苗木を植えて、1区画(3.3平米)ごとに分譲するという作りでした。
一般の墓地の墓石の代わりに、芝生と樹木が散在しているというイメージ。

お骨を埋める側とすれば、1区画の占有権を買い取る→故人の名前を彫った正方形の御影石を置く→故人のお骨を埋める、というもの。
法事はやってもやらなくてもいい。ただやるなら、その菩提寺のやり方に沿ってやってもらうというもの。

苗木はお寺が埋めているもので、自分の区画に好きな木を植えることはできない。花ならいい。だから墓石の回りに愛らしい花が植わっているところもあった。

自然葬というから、どんなものかと思ったのだけど、率直な感想をいうと、普通の墓地が、石から緑(芝と樹木)に替わっただけ、のように思えた。
お寺のスタッフの説明だと、「自然保護に貢献することになる」ということ。

私ならどうするかな、と思いながら説明を聞いていた。

遺骨を自然に返すというなら、区画分譲というやりかたは適切なのか?
たとえば買い取った森の中に静かに散骨するというやりかたはどうか?)

その葬儀のあり方は、どういう意味に基づいているのか?(信仰観・宗教観は?)

もし私が、このような場所を持てるなら、御遺灰は深い森の中に還すかもしれないと思う。人が通れるくらいの細い道だけ切り拓いて。

可能なら、散骨した場所に苗木を植えるか。あるいは目印になるような小さなオブジェをその上に置くか。あるいはまったく痕跡が残らないようにするか。

心がけるだろうのは、故人の生きて来た道のりや、御遺族や世の中への思いを、なるべく形にして残すようにデザインすることだろうか。

遺骨を埋めるだけでなく、生前の記録や手紙など、メッセージとなりうるものを保管する。
その寺・場所に行けば、故人の生涯・思いにあらためて触れることができる――。

遺骨がどこに埋まっているかというより、その場所に行って、自分が会いたいと思う人に、心の中で少しでも近づくことこそが、多くの人の願いなのではなかろうか。

「思いを遺す場所」「故人の心に触れることのできる場所」というコンセプトで、私ならこういう場所を営むだろうな、と思った。
実際、私が勤める法事はそういうコンセプトに基づいてさせていただいている。

印象的だったのは、住職さんがいたのに、見学者に自然葬の意味について直接話をしなかったこと。スタッフが、おカネと手続きの話だけして終わってしまったことだ。

これくらいの淡泊さに日本人は慣れているということなのか。
あるいは、もっときちんと、葬儀の意味の深い処を掘り起こして、その意味に基づいて葬儀や墓地をデザインするということを住職がやれば、人々は心動かすのだろうか。

なんとなく肝心の部分が抜けているように思えたのは、私が求めすぎているからか。

墓地が意味を持つとすれば、死者と生者との縁(つながり)をつなげることにある。仏者としての私はそう考えている。
かなりの覚悟がないとできない仕事だろうと思う。

いろいろ考えながら帰って来た。この命はあと何年生きられて、その間に一体どれほどのことができるのか。
夢想と現実との間の距離の大きさをも。

「超訳すぎない」ブッダの言葉

7月14日
●神楽坂は、新しい人たちがよく来るようになった。
もちろん顔なじみの人たちも足を運んでくれる。

こういう場所では、旅する感覚に似ていると思うことがある。
こちらが動かなくても、訪れる人たちが自然に移ろって、結果的にこちらが旅しているのと同じような具合になる。

行雲流水――自然のままに、出会いを楽しもう。

●ときおり聞く、「情熱が持てなくなった」
「昔のようなイキイキした感情が湧きにくくなった」
という言葉。
そういう人は、「感覚に帰る」というのを心がけてみてはどうだろう。

心は、感覚→感情→思考、という段階を経て発達している。
年をとるほど思考(観念・判断・想像など)が増えていくから、
感情(喜怒哀楽も情熱も)は衰えていく。それは自然。

素直な感情を取り戻そうと思うなら、思考に使っている心のエネルギーを、感情以前の「感覚」に使ってやるといい。それが「感覚に帰る」ということ。

その練習が、坐禅エクササイズ。ほんとです。
感覚に戻ると心はイキイキとして、たくましくなる。「自分を取り戻せる」。

次回は7月15日と7月29日。ともに日曜の午前9時半から。

●とある方の感想――
「先生の新作を読んで、ブッダの言葉(仏典)を読みたくなりました。
 超訳(超すぎない)・草薙先生編仏典、Looking for Buddha
日々の生活の中での座禅、仏教思想、その取り入れ方等  by 草薙龍瞬  で読みたい本はたくさんあります。」

ありがとです。私にもお届けしたい本はたくさんあります(笑)。

そう。「超すぎない」がポイントですよね。
市井に出回っている仏典・ブッダの言葉というのは、原典に忠実すぎて難解・複雑になっちゃってるか、過剰に著者の嗜好(クセ)で色づけられていて、素直に、ストレートに入ってこないものが多いのです。

もちろん、くさなぎ龍瞬訳の言葉も、主観的な色合いを避けることはできないのですが、私の訳は、まずは本質を徹底して削り込んで、その本質を素直に表現するにはどうすればいいか?というのを考えながら作っています。
本質を正確に伝える――そのための翻訳だと心得ています。

平たく言うと、「わかりやすくて心に届くことが第一」という立場。
だから、あえて言うなら「本質訳・ブッダの言葉」。
なるべく多くの人が、好き嫌いなく共有できる、無色中立な知恵の言葉をつむぎたいのです。

私なりの良心が徐々に広く伝わっていって、私の言葉を見つけて下さる人が増えてくれればいいなあと思います。

どの道でも、まごころ・魂魄(身も心も)をこめることがすべて。
書き手としては、内容的に書き尽くしたと感じられることがすべて。

私の道は、どの伝統・宗派にも属さないし、安易に「お釈迦様」に頼るスタイルでもありません。その分、カタチに収まりにくくて、受け入れられるまで時間がかかるのかもしれません。

でも、このスタイルがブッダ・ゴータマ本来の思考に最も近いのだというのは、この命が知っています。あとは、分かってもらえるよう、最善を尽くしていくのみです。

言葉に魂がこもるのは、やはり「誰に向けて」書くか?がはっきりしたとき。

その意味で、皆さんの感想・質問・意見・相談など、生身の声がとてもありがたいのです。ぜひ今後とも、お気軽にお声を聞かせてくださいね。terakoyakodonosato@gmail.com

―――――――――――――――――――――――
7・8月の日程  詳しくは http://genuinedhammaintl.blogspot.jp/p/blog-page_5196.html

●7月15日(日) 午前9時半~12時
 座禅エクササイズ            
場所 赤城生涯学習館  新宿区赤城元町1-3 
JR飯田橋駅/東西線・神楽坂駅  赤城神社隣

●7月18日(水) 午後7時~9時   夜の会 
 おとなの寺子屋・夜の会  テーマ自由の仏教学習会   

場所 赤城生涯学習館  新宿区赤城元町1-3 
JR飯田橋駅/東西線・神楽坂駅  赤城神社隣

7月19日(木)、8月2日(木) 午後2~4時
 巣鴨・おもしろ日本仏教講座                   
巣鴨地域文化創造館 豊島区巣鴨4-15-11 
JR・都営三田線巣鴨駅。巣鴨地蔵尊通り入って徒歩10分左側。

●7月22日(日) 午前10時~12時  ランチ懇親会つき
 おとなの寺子屋  テーマ自由の仏教学習会   

場所 赤城生涯学習館  新宿区赤城元町1-3 
JR飯田橋駅/東西線・神楽坂駅  赤城神社隣

●7月29日(日) 午前9時半~12時
 座禅エクササイズ            
場所 赤城生涯学習館  新宿区赤城元町1-3 
JR飯田橋駅/東西線・神楽坂駅  赤城神社隣

8月2日、23日(木) 午後2~4時
 巣鴨・おもしろ日本仏教講座               
巣鴨地域文化創造館 豊島区巣鴨4-15-11 
JR・都営三田線巣鴨駅。巣鴨地蔵尊通り入って徒歩10分左側。

●8月11日(土) 午後2時~4時 
 おとなの寺子屋  テーマ自由の仏教学習会   

場所 赤城生涯学習館  新宿区赤城元町1-3 
JR飯田橋駅/東西線・神楽坂駅  赤城神社隣

●8月12日(日) 午前9時半~12時 
 座禅エクササイズ                    

場所 赤城生涯学習館  新宿区赤城元町1-3 
JR飯田橋駅/東西線・神楽坂駅  赤城神社隣

●8月15日(水) 午後6時~8時  夜の会 
 おとなの寺子屋 夏の終わりをあえて惜しむ会 PART1 

場所 赤城生涯学習館  新宿区赤城元町1-3 
JR飯田橋駅/東西線・神楽坂駅  赤城神社隣

●8月18日(土) 午後6時~8時  夜の会 
 おとなの寺子屋 夏の終わりをあえて惜しむ会 PART2  

場所 赤城生涯学習館  新宿区赤城元町1-3 
JR飯田橋駅/東西線・神楽坂駅  赤城神社隣

●8月19日(日) 午前9時半~12時 
 座禅エクササイズ                    

場所 赤城生涯学習館  新宿区赤城元町1-3 
JR飯田橋駅/東西線・神楽坂駅  赤城神社隣

●8月26日(日) 午前9時半~12時 
 座禅エクササイズ                    

場所 赤城生涯学習館  新宿区赤城元町1-3 
JR飯田橋駅/東西線・神楽坂駅  赤城神社隣

仏教界のきみまろめざして?

7月10日
めっちゃ晴れてます! アタマで電気つくれるくらい~

こんにちは、元関西人のくさなぎ龍瞬です。
すみません、ときどき“前世”がよみがえります。

お陰さまで、別の区での講座が決まりました。
まずは都内23区をひと通りまわってみるのはいかがでしょう。
“仏教界の綾小路きみまろ”として、全国縦断かなう前に(妄想)。

ちなみに、語り部としての私がなぜきみまろ師匠を敬愛するかというと、
彼は「芸能生活35年のうちほとんどがダメだったですから」
とやさしい瞳で語るお人だからです。
すごいな~、強くて、やさしい人だなあ、と感じたからです。

私事を語らせていただくと、 
日本に帰って来た時は、バッグ一つで、帰る場所なし。
何から始めてよいのかもまったく分からない状態にいました。
「まずは5年、この国で生きてみよう。ダメなら野垂れ死にだ」
と本気で思っていました。

まがりなりにもここまで生きて来られて、いろんなご縁をいただくようになって、
自分のスタイル(芸風?)も徐々に明らかになってきて、
最近ようやく、このスタイルをこれから固めて行こう、この道を追求しよう、と思えるようになってきました。


坊さん然として悟り澄まして生きるのは、自分の道ではない。
ここからは、まったく新しい道を、俗の中で伸ばしていかねばならない。
信仰の外の世界にあえて立ち、人さまにとっても価値あるものを創造していかねばならない。
そう思ってます。

そういう私が、語り部としての先達として思い浮かべるのが、きみまろ師匠なのです。
戻ってきた時は何もなく、この先にも何の保証もなく、今も活動のスタイルを模索している私にとっては、
「35年間のほとんどがことごとくダメだった」
「(オリコンでチャートインした時には)やってきてよかったな、あきらめないでよかったなと思いました」(爆笑スーパーライブ第3集より http://www.ruribyoutan.jp/
と語るきみまろ師匠の強さ・すがすがしさは、敬愛すべきものなのです。

全国回って、ホールで2千人もの人に笑ってもらえる活動というのは、ロマンだと思いませんか?

「中高年の方々にできるだけやさしくしてあげたい。元気になってもらいたい」
という師匠の愛のメッセージには、言葉を超えた深さを感じます。

私の場合、きみまろ師匠ほど「毒もない」し「笑いもない」のかもしれませんが、
それでも、適度に笑いがあって、時に泣けて、最後はしみじみと幸せを感じ入るようなトークができるようになれたら、と思っているのでございます。

今回の上野での講座は、ごく小さいながら、初めてのホールでの講演でした。
なぜか情感こめて語りやすかった。お寄せ頂いた感想も上々でした。
なんだか、将来の方向性がまた一つ具体的に見えたようにも思えました。

今回言いそびれたのは、
「仏教界の綾小路きみまろめざしてがんばりますので、
皆さんご声援よろしくお願いします」
という最後の挨拶。

皆さんはもう聞いてるでしょうけど(笑)。
くさなぎ龍瞬の芸人(?)生活はこれからです。頑張ります。

今回は、ちょっと僧侶の枠を踏み外してお届けいたしました。

めざすのは 語る口から 幸の花咲く 旅坊主


●7月15日(日) 午前9時半~12時
 座禅エクササイズ            

座禅で大切なのは、「座り方」よりも、「ココロの働かせ方」。

正しい方法を実践すれば、
日ごろのいろんな課題・問題を上手に解決できるようになります。

徹底して「本質」を伝えることを方針とする座禅道場。
寺通い10年のベテランが「座禅を何も分かっていなかった・・・」と語るほどの、確かな方法論で構成されたプログラムです。一度ご体験ください。
 
初めての人には特製ガイドブックを進呈しています。

構成
・約30分のガイダンス
・90分のエクササイズ
・質疑応答&まとめの法話

場所 赤城生涯学習館  新宿区赤城元町1-3 
JR飯田橋駅/東西線・神楽坂駅  赤城神社隣
参加費 はじめての方1500円  2回目以降の参加者1000円
予約不要。直接会場まで。

●7月18日(水) 午後7時~9時   夜の会 
 おとなの寺子屋・夜の会  テーマ自由の仏教学習会   


一日の終わりに、ちょっとユニークな学習会はいかがでしょう?
「仏教を学んでみたい」「とにかく話を一度きいてみたい」人におススメ。

①即興♪仏教講座 テーマは当日のお楽しみ。
②おとなの語り場  参加者をまじえてのざっくばらんな座談会。

生活向上のヒントがかならず手に入ります。

☆飲み物&軽食はご自由にお持ち下さい。

場所 赤城生涯学習館  新宿区赤城元町1-3 
JR飯田橋駅/東西線・神楽坂駅  赤城神社隣
参加費 はじめての方1500円  2回目以降の参加者1000円
予約不要。直接会場まで。

7月19日(木)、8月2日(木) 午後2~4時
 巣鴨・おもしろ日本仏教講座                   

シニア受講生に大好評だった豊島文化カレッジのシリーズ化。
日本の高僧たちの生きざまをたどり、彼らが目指したものを明らかに。
「今をいきる私たちにとって本当に必要な仏教とは?」が見えてくる。

20代から90代まで楽しく学んでいます。
毎回書き下ろし読みものプリントつき。

第1・3木曜 午後2~4時
巣鴨地域文化創造館 豊島区巣鴨4-15-11 
JR・都営三田線巣鴨駅。巣鴨地蔵尊通り入って徒歩10分左側。
体験受講1500円(資料代込み)。
予約不要。直接会場まで。

●7月22日(日) 午前10時~12時  ランチ懇親会つき
 おとなの寺子屋  テーマ自由の仏教学習会   


場所 赤城生涯学習館  新宿区赤城元町1-3 
JR飯田橋駅/東西線・神楽坂駅  赤城神社隣

●7月29日(日) 午前9時半~12時
 座禅エクササイズ            

場所 赤城生涯学習館  新宿区赤城元町1-3 
JR飯田橋駅/東西線・神楽坂駅  赤城神社隣
参加費 はじめての方1500円  2回目以降の参加者1000円
予約不要。直接会場まで。

8月2日、23日(木) 午後2~4時
 巣鴨・おもしろ日本仏教講座               

巣鴨地域文化創造館 豊島区巣鴨4-15-11 
JR・都営三田線巣鴨駅。巣鴨地蔵尊通り入って徒歩10分左側。
体験受講1500円(資料代込み)。
予約不要。直接会場まで。

●8月11日(土) 午後2時~4時 
 おとなの寺子屋  テーマ自由の仏教学習会   


場所 赤城生涯学習館  新宿区赤城元町1-3 
JR飯田橋駅/東西線・神楽坂駅  赤城神社隣

●8月12日(日) 午前9時半~12時 
 座禅エクササイズ                    


場所 赤城生涯学習館  新宿区赤城元町1-3 
JR飯田橋駅/東西線・神楽坂駅  赤城神社隣

●8月15日(水) 午後6時~8時  夜の会 
 おとなの寺子屋 夏の終わりをあえて惜しむ会 PART1 


ブッダの生涯がわかるスライドショーつき
場所 赤城生涯学習館  新宿区赤城元町1-3 
JR飯田橋駅/東西線・神楽坂駅  赤城神社隣

●8月18日(土) 午後6時~8時  夜の会 
 おとなの寺子屋 夏の終わりをあえて惜しむ会 PART2  


場所 赤城生涯学習館  新宿区赤城元町1-3 
JR飯田橋駅/東西線・神楽坂駅  赤城神社隣

ブッダの生涯がわかるスライドショーつき

●8月19日(日) 午前9時半~12時 
 座禅エクササイズ                    


場所 赤城生涯学習館  新宿区赤城元町1-3 
JR飯田橋駅/東西線・神楽坂駅  赤城神社隣

●8月26日(日) 午前9時半~12時 
 座禅エクササイズ                    


場所 赤城生涯学習館  新宿区赤城元町1-3 
JR飯田橋駅/東西線・神楽坂駅  赤城神社隣

みえない「基本線」

7月8日           ※仏教講座の日程は下のほうにあります↓

メール通信のつづきになるけど、
『8時だヨ!全員集合!』のいかりや長介は、 「歯みがいたか〜、宿題忘れるなよ〜」と叫んでた。
子供向けには手頃なメッセージだった。愛情があって、しかも気軽に聞ける。

私なら子供に何を叫ぶだろう(ハッピ&鉢巻き姿で?)。
たぶん伝えるとしたら、「やさしくなれよー」かな。
(「座禅しろよー」はイケてないな……仏教は無粋ですね(= =;)。)

自殺の練習をさせていたといういじめ事件があった。
他人を苦しめることを自分の快楽とするというのは、邪悪さのきわみ。
「絶対に許さない」という基本線を引くことが基本になる。

なのに、大人たちがその基本線を引いて示せない。
自分の都合・思惑を引きこんで、崩してはいけない基本線をあいまいにしてしまう。

自分が何かを得るために人に苦しみを強いるというのは、あってはならないこと。
でもその基本線が、この社会ではけっこうあいまいなように思う。

たとえば、母親が生活保護をもらっていたタレントを攻撃している国会議員。

その名分は一見正しいように見えるかもしれないが、 本来政治家が追求すべきは、給付した行政側の問題であるはず。

もちろん保護を受け続けた側のモラルの問題はあるかもしれないが、国民個人を真っ先に攻撃するというのは国会議員の仕事ではない。
(今回は特に給付を受けていたのは母親であってタレント自身ではない。法律上の扶養義務はあるとはいえ、まったく別の人格だ。)

国会議員の仕事はあくまで法律を作ることだ。そのための権限である。
もし制度の運用に問題があると思うなら、その運用のあり方そのものを検討すべきなのであって、利用した国民個人のモラルではない。
あるいは処分の取り消しと過去の受給分の返還手続きを進めるよう「行政側」に促すか。それが本筋だろう。
そこを超えて、一私人を公の場で批判することは、国会議員の職務を逸脱しているのである。

この議員は、多くの国民に支持されていると胸を張っているという。 しかし、国民たちが感じているのは、不正受給への私的な「怒り」だ。
その怒りを、公権力の側に立つ人間が、そのまま特定の私人に公開の場でぶつけていいということにはならない。 市井の人々の「感情」と、国会議員の「職務」とは、明確に位置づけが異なるものだ。

権力は濫用してはいけない。権力を国民個人に行使するときには、適正な手続きにのっとって行わなければいけない。 (ここでの権力は、強制力だけでなく社会的影響力をも含む。)
これは、統治の基本ルール。この社会が保つべき「基本線」だ。

この議員がやっていることは、自分の職務をはきちがえた個人攻撃、 権力を持った人間が権力なき私人を叩くいびつなパフォーマンスではないか。
「基本線」を簡単に踏みにじって越えてしまっている。元々やってはいけないことなのである。

この社会には、力ある者が力なき者を、一見正しそうな理屈・名分をもって叩くという、いじめの構図があるように見える。

それらしい理屈を作って、気にいらない人間を排除しようとする子供たちのいじめと、
それらしい理屈を作って、叩きやすい方を執拗に叩きつづける、かの国会議員の言動は、
同じとまでは言わないが、根っこにある発想(メンタリティ)は似ているような気がする。

それは、他者の痛みにあまりに鈍感であるということだ。

「守るべき基本線」が見えない社会である。

●7月15日(日) 午前9時半~12時
 座禅エクササイズ            

座禅で大切なのは、「座り方」よりも、「ココロの働かせ方」。

正しい方法を実践すれば、
日ごろのいろんな課題・問題を上手に解決できるようになります。

徹底して「本質」を伝えることを方針とする座禅道場。

寺通い10年のベテランが「座禅を何も分かっていなかった・・・」と語るほどの、
確かな方法論で構成されたプログラムです。一度ご体験ください。
 
初めての人には特製ガイドブックを進呈しています。

構成
・約30分のガイダンス
・90分のエクササイズ
・質疑応答&まとめの法話

場所 赤城生涯学習館  新宿区赤城元町1-3 
JR飯田橋駅/東西線・神楽坂駅  赤城神社隣
参加費 はじめての方1500円  2回目以降の参加者1000円
予約不要。直接会場まで。

場所 赤城生涯学習館  新宿区赤城元町1-3 


●7月18日(水) 午後7時~9時   夜の会 
 おとなの寺子屋・夜の会  テーマ自由の仏教学習会   


一日の終わりに、ちょっとユニークな学習会はいかがでしょうか?

「仏教を学んでみたい」「とにかく話を一度きいてみたい」人におススメ。

①即興♪仏教講座 テーマは当日のお楽しみ。

②おとなの語り場  参加者をまじえてのざっくばらんな座談会。

生活向上のヒントがかならず手に入ります。

☆飲み物&軽食はご自由にお持ち下さい。

場所 赤城生涯学習館  新宿区赤城元町1-3 
JR飯田橋駅/東西線・神楽坂駅  赤城神社隣
参加費 はじめての方1500円  2回目以降の参加者1000円
予約不要。直接会場まで。

7月19日(木)、8月2日(木) 午後2~4時
 巣鴨・おもしろ日本仏教講座                   

シニア受講生に大好評だった豊島文化カレッジのシリーズ化。

日本の高僧たちの生きざまをたどり、彼らが目指したものを明らかに。

「今をいきる私たちにとって本当に必要な仏教とは?」が見えてくる。

毎回書き下ろし読みものプリントつき。

20代から90代まで楽しく学んでいます。

第1・3木曜 午後2~4時
巣鴨地域文化創造館 豊島区巣鴨4-15-11 
JR・都営三田線巣鴨駅。巣鴨地蔵尊通り入って徒歩10分左側。
体験受講1500円(資料代込み)。
予約不要。直接会場まで。

7月2日
代々木公園で、ホームレスの人たちと「座談会」をやった。

「仏教教室」というと、みな身構えてしまって帰ってしまうと判明した(笑)。だから「座談会」。

サンスクリット語を勉強したことがある男性とか、
国際政治にやたらくわしい老父とか、
キリスト教の洗礼を受けようかと迷っている青年(ガラスのないメガネをなぜかかけている)とか、
単にお坊さんに興味があるらしい質問好きの男性とか、

いろんな人たちと知り合えた。

カジをうまくとらないと支離滅裂な雑談にイッキに流れていってしまう。
長いことひとりで生きている分、妄想グセがかなりついてしまっている様子(笑)。

互いのコメントに突っ込みを入れて、すぐに心のバトル(ケンカ)が始まる。
どうも仲良くするのが苦手みたい(^^;)。

でも、生き方・心のもち方という内容になると、だまって聞いている。

最後は合掌でシメ。希望者がいる限り、つづけようと思う。

無論、お金にも何にもなりはしない。ただ、必要とする人間がいるから、仏法を伝えうる可能性があるから、やるのである。

心に仏法があるかぎり、目の前のこの道は真実の道である。

歩き続ける間、つねに心は満たされている。それが真実の道であることの証(あかし)だろうと思う。

逆に言えば、もし満たされなさを感じるとしたら、それは真実から離れている証拠。
あるいは、煩悩が働いている証拠。

仏教の修行というのは、そういう心にただちに気づいて、
満たされなさの重力に沈むことを防ぐこと。つねに満たされた心の境地を保つこと。

何をしていても、その務めを忘れない。
自分はやっぱり出家なのだなと思う。


7月5日・19日(木) 午後2~4時
 巣鴨・おもしろ日本仏教講座                   

シニア受講生に大好評だった豊島文化カレッジのシリーズ化。

日本の高僧たちの生きざまをたどり、彼らが目指したものを明らかに。

「今をいきる私たちにとって本当に必要な仏教とは?」が見えてくる。

毎回書き下ろし読みものプリントつき。

20代から90代まで楽しく学んでいます。

第1・3木曜 午後2~4時
巣鴨地域文化創造館 豊島区巣鴨4-15-11 
JR・都営三田線巣鴨駅。巣鴨地蔵尊通り入って徒歩10分左側。
体験受講1500円(資料代込み)。
予約不要。直接会場まで。

いよいよフィナーレ! 7月4日 当日受付もOK!
 とにかく分かりやすい!と好評の仏教学入門 イン上野  

仏教の全貌がみるみる見えてくるスケールの大きな仏教講座。

最終回は、浄土信仰を素材として、
「人生の閉じ方(死の迎え方)」について考えます。

7月4日(毎水曜・全4回) 午後6時30分~8時30分
上野・台東区立社会教育センター 〒110-0015台東区東上野6-16-8 
JR上野駅下車 徒歩約10分 銀座線稲荷町駅下車 徒歩約3分
受講料1800円(前回分の資料をお渡しします。) 

お申し込みは社会教育センターにて。お問い合わせ 03-3842-5352
当日も受けつけています。直接会場までおこし下さい。 



●7月8日(日) 午前10時~12時
 新刊特集 「雑念に悩まされない方法」を考える   


バラエティ豊かなテーマでお届けしている神楽坂の仏教講座。

今回は、くさなぎ龍瞬の新刊
『消したくても消えない雑念がスーッと消える本』 大和出版
にちなんで、
「雑念に悩まされない方法」を考えます。

座禅・仏教の中で語られる「方法」を総まとめ。
日常生活にすぐに使えるノウハウが手に入ります。

雑念を払えば、
「目の前の大切なこと」にもっと集中できるようになる!
もっと快適に生きられる!
が基本テーマ。

出入り自由のオープンな寺子屋スタイルです。
飲み物持参でお気軽にお立ち寄りください。

場所 赤城生涯学習館  新宿区赤城元町1-3 
JR飯田橋駅/東西線・神楽坂駅  赤城神社隣
参加費 はじめての方1500円  2回目以降の参加者1000円
予約不要。直接会場まで。

●7月15日(日) 午前9時半~12時
 座禅エクササイズ            

座禅で大切なのは、「座り方」よりも、「ココロの働かせ方」。

正しい方法を実践すれば、
日ごろのいろんな課題・問題を上手に解決できるようになります。

徹底して「本質」を伝えることを方針とする座禅道場。

寺通い10年のベテランが「座禅を何も分かっていなかった・・・」と語るほどの、
確かな方法論で構成されたプログラムです。一度ご体験ください。
 
初めての人には特製ガイドブックを進呈しています。

構成
・約30分のガイダンス
・90分のエクササイズ
・質疑応答&まとめの法話

場所 赤城生涯学習館  新宿区赤城元町1-3 
JR飯田橋駅/東西線・神楽坂駅  赤城神社隣
参加費 はじめての方1500円  2回目以降の参加者1000円
予約不要。直接会場まで。

場所 赤城生涯学習館  新宿区赤城元町1-3 


●7月18日(水) 午後7時~9時   夜の会 
 おとなの寺子屋・夜の会  テーマ自由の仏教学習会   


一日の終わりに、ちょっとユニークな学習会はいかがでしょうか?

「仏教を学んでみたい」「とにかく話を一度きいてみたい」人におススメ。

①即興♪仏教講座 テーマは当日のお楽しみ。

②おとなの語り場  参加者をまじえてのざっくばらんな座談会。

生活向上のヒントがかならず手に入ります。

☆飲み物&軽食はご自由にお持ち下さい。

場所 赤城生涯学習館  新宿区赤城元町1-3 
JR飯田橋駅/東西線・神楽坂駅  赤城神社隣
参加費 はじめての方1500円  2回目以降の参加者1000円
予約不要。直接会場まで。