仏教講座スケジュール

●古い仏教のイメージから自由になりましょう。心の苦悩・現実の課題を越えてゆくことが、最も大事なこと。思い込みを捨てた時に、ブッダの教えの真髄がみえてきます。
●全国行脚、まもなくスタート! 講座、個人相談、法事など、ご希望者はご連絡下さい(クリック)
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●メール通信、配信中。
①お名前、②都道府県、③近況(本の感想・知ったきっかけ等も可)をひとこと 書いて koudounosato@gmail.com まで。※フリーメール着信拒否の設定になっていないか、ご確認ください。
●廃寺・空き寺・日本家屋を募集中! 生き方と教育と仏教をひとつの場所で――ご提供くださる方、ぜひご連絡ください。

真冬の夜に伝えたいこと


2月の<仏教の学校>はお休み、です。しばし、みんな暖をとってくださいね。

昨年一年間は、ふだん本拠地にしている神楽坂の教室が、耐震工事中になっちゃって、都内のいろんな場所を借りての、「流浪の教室」になってしまいました。

毎回のように場所が変わるので、みんなも来にくかったんではないかな。

それでも場所を探してきてくれる人たちがいて、ありがたかった。

一月最後の講座には、栃木から来てくれた人もいました。

扉を開けておけば、訪ねてくる人がいる。

ふだん仕事で忙しい人も、この日はたまたま空いたから、と来てくれることがある。

やりつづけないと、と思います。

仏教の講座を三年余りやってきて、この一月、最後に思ったのは、

友が増えたなあ、ということ。

今は、場所を移しても、どんなに寒い夜でも、道を求めて、あるいは久しぶりにお顔を見せに、来てくれる人がいます。

なかには、これから社会人生活本番という若い人も、

配置替えになって慣れない作業に頑張っている人も、

仕事が変わってたまの休みにくる人もいる。

私にとっては、みなが道ゆく友です。

仏教を通じて出会えた友人たち。みなが頑張っていることを私は知っています。

そして、私自身もまた頑張ってひとつの道を歩き続けていることを、彼らは知っている。

知っておいてもらいたいと思います。

ものごとというのは、思い通りに進まないもの。

でも、そういうときこそ、じっと妄想がふくらむのを我慢して、ただこの日常を生きる、ただ生きつづけることが大切な時期があるのだということを。

答えを急がずに(状況はかならず変わっていくから)、

求めすぎずに、むしろ極限まで求める量を減らしに減らして、ただ歩きつづけることこそが、大事なんだ、って。

特に、真冬で、日差しも弱くて、それでなくても元気が萎えてしまうような季節には、ほんのすこし目をつむって、息をしているだけで十分なのだ、と考えることが大事なんだって。

体が凍えてしまっても、

気持ちが萎えてしまっても、

それでもこのひと息だけはつづいている。

ほんとは、それだけで十分なんだ、って。

そんなことを思ってみてください。

真冬の夜の教室にきてくれたみんなには、そう伝えたい。

みなが生きている日常が伝わる気がするからね。

ひとりじゃないよ。

そして、好転する、うまくいくのは、「時間の問題」。

そんなもんです。

新年初ライブのおさらい 1月18日

こんにちは、草薙龍瞬です。

ふだんよく語ることですが、かりに自分が今亡くなったとして、「2557年」先の人類が、自身の思想や生きかたというものをなお語り継いでいるという現象を、想像できますか?

できませんよね(笑)。自分がこの世を去ったら、その瞬間に急速に、知己・血縁からさえ忘れ去られていきます。半世紀もすればほぼ無と化すのではないでしょうか。

その点、ブッダという人は、信仰の対象としてみなくても、それだけの「未来」を越えてなお語り継がれて、今を生きている。

これはこの星の上に在る数ある不思議な奇跡のひとつのような気がします。

こんな話をするのも、今日の新年ライブで、ブッダガヤの写真をお見せして現地の様子をお話したからです。


ブッダ成道の聖地。そこで見たもの、聞いたものを、思いつくままにお話しました。

ブッダガヤは、世界に広まっている全仏教の最源流にあたる、ただひとつの場所。

でも、その場所で、タイの坊さんは瞑想をし、チベットの坊さんは五体投地の修行に励み、またマントラを唱え、日本人の観光客はナムミョウホウレンゲキョウを唱えたりと、みなてんでバラバラのことをやっています。

みんな、自分の「仏教」を信じて疑わない。ひとつだけ取り上げるのは申し訳ないけれど、原始仏典のどこを読んでも、チベットやネパールの人たちがやっている 「五体投地」は出てこない。でも彼らはそれが涅槃(ねはん)に達する方法とかたくなに信じて、もう千年以上つづけている。

身も蓋もない言い方をしてしまえば、人間は、どんな内容の思想でも信じてしまえるものだし、
いったん信じれば、それが唯一の真理として感じられる。

そしてどのような内容でも、信じる人にとっては「救い」が得られる。

そういうものなのでしょう。宗教というのは、際限がない。どこまでも、物語をつむぎだすことはできるし、どのような物語でも、信じる人間にとっては真理になる。

「自分はブッダの生まれ変わり」と自称するとある宗教家の本が、ブッダガヤ構内の仏教書店で売られていた。

書店員がいうには、「この男がニセモノだというのは知っている。本当は置きたくない。でもブッダガヤ管理委員会の面々がこの本をココに置けというんだ。だからイヤでたまらないけど、置いている」と言っていた。

カネの力で「さとり」さえ演じてしまえるということらしい。宗教の世界は、つくづく滑稽さをたたえている。

ただ、今日話したのは、「どんな宗教、どんな仏教でも、語ろうと思えば語ることができる。語る自由を止めることはできない」ということ。

ひとから見れば、どんなに荒唐無稽で、でたらめに見えることでも、語ってしまう人間を止めることはできないし、信じる人間を止めることもできない。

だから、「あなたの宗教(仏教)は間違っている。本当の仏教とはこういうものだ」ということは、できない。

異なる思想を信じる他者の心をコントロールすることは、不可能である。

だから、ブッダは、こういう議論には乗らなかった。他者がコレと信じる主観的な真理に言及することは、無意味である。だから、こういう議論に対して、ブッダは「無記」(ノーコメント)を通した。

ならば、ひとは、信仰という領域の中で何をなすべきか。

私のように、仏教というひとつの思想の大河に浴する人間は、どのように仏教を説くべきか。

――「私にとって、苦しみを癒す方法とはこれである」――と説くしかない。

他者の心に口を出さず、ただ自らにとっての幸福への方法を説くしかない。その一点に関しては、その点にかぎっては、かぎりなく誠実に、である。

それに加えて、私の場合は、仏教という名のもとにさまざまな異説・妄想が混じりこんでしまった現状から、

「おそらく“悟れる人”が見ていたものに最も近いであろう」と思われる、合理的で、ほかの宗教とも両立しうる、中立的・普遍的な部分をしっかりと抜き出して、

どの伝統に属する仏教徒であれ、

どの宗教を信じる人びとであれ、

あるいは、宗教と称されるいっさいの物語を信じない人たちであれ、

幸福への方法としてなお使える、通用しうる、それゆえに普遍性をもつといえる、より精錬された本質部分を伝えたいと思っている。

さまざまな思想・宗教が、時代を越えて生きる権利(可能性)を持っている。

それと同時に、さまざまな思想・宗教と両立しうる、より普遍的で本質的な思想・方法もまた、生き続けていいと思っている。

私は、そういう、時代を越えて生き残る価値をもつ思想、ただその中でも、最もシンプルで、中立的な「本質」部分にこそ、ブッダの発見があったと思っている。

ブッダ自身が見ていたであろうもの、あるいは彼自身もまだ時代に制約されて自覚していなかった、
理解の方法や、思考の仕方というものを、人々に紹介したいと思っている。

いかなる思想をも、その自由を認めて、なおかつその自由たちと両立しうる、最も開かれた、オープンな、幸福への方法を、である。

それがきっとブッダが見ていた方法と重なるのだろう、と、そう考えている。

そういう話をしました。

最後は、慈しみの経を朗読して、パーリ語のMetta Suttaを誦(とな)えてみた(日本では初めて)。

本格的な読経の50分の一くらいのおとなしめの、静かな読誦。でも聞く側の反応はあったみたい。


きちんと道に立ってこの一年を生きてゆくこと――。


それが分かち合えていたら今宵は善し、と思う。

好評連載中! 仏教的?漫画『サマネン』今回はクマさん

季刊誌『興道の里』には、仏教の話、インドでの出家物語、エッセイのほか、龍瞬自作のマンガも連載中です。

ご興味のある方は、お名前と「見本希望」と書いて、メールにてご連絡くださいね。

宗派や伝統にとらわれず、
「たしかめようのない物語(つまりは妄想)」にも頼ることなく、
誰をも神格化せず、
信じなければ救われない(コレを信じろ、コレこそがホントの教えだ)というような狭小な思いこみにもとらわれず、

しあわせの道(方法)はひとの数だけある、

それを明らかにしていくためにも、ブッダの教え(考えかた)に触れてみてください、

という、きわめてオープンな立場で、仏教を紹介しています。

めざすは、仏教として紹介されているさまざまな思想(伝統とか宗派とか)に共通する「本質」を、今の言葉でわかりやすく、人間らしい言葉でお伝えすること。

それだけで、ひとは幸せ(求めるもの)をつかみとれるはず、という思いでお伝えしています。

遅ればせながら新年のごあいさつ

日本のみなさんへ

草薙龍瞬です。ようやく、インドから戻ってきました。

つかれた~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~というのが実感です。本当に体の芯までエネルギーを使い尽くしました。

インドに発つ12月15日まで、最終講座が重なって怒涛の忙しさがつづき、最後の日は明け方に意識が朦朧として3時間弱横になったのですが、それが原因で(?)、季刊誌12月号の印刷途中でやむなく成田に向かうというハメになったのでした。

現地に渡っては、疲れが出たのか、風邪のあらゆる症状に一気に見舞われてしまい、ヨレヨレになりつつ、浄水装置の工事やら、25日のセミナーの準備やらにとりくみ、

その後、夜行列車で15時間かけてアンドラプラデシュ州に入り、前・州大臣に面会、さらに飛行機でムンバイに飛び、ムンバイ大学の学部長に会って、春以降の大学でのセミナー&会議の確約をとり、州政府の水道局長に会って、今後の必要な作業を聞き取り(これは一家との食事もふくむ、約8時間にわたる長時間の聞 き取り。これぞビジネスマンの鏡????)。

ムンバイから今度はビハール州パトナに入って、ローカルバスで激しく上下に揺られながら4時間かけて、仏教遺跡のあるナーランダへ、さらに翌日にはタクシーで2時間かけて、釈尊成道の地ブッダガヤへ。僧侶としてインド仏教徒との交流を図りつつ、水プロジェクトの可能性をさぐる、という仕事を精力的にやってきました。

パトナに戻って、一晩だけ、ちょっとぜいたくにホテルに泊めさせてもらって(ぜいたくといっても5500円くらいですが)、翌日パトナから飛行機でデリーへ。

ところが、パトナからの飛行機は、天候不順で朝の便がキャンセルされ、5時間遅れの午後の便にのり、さらにデリーでは1時間半ほど遅れて午前2時すぎ(日本時間でいうと朝の5時半)に飛行機に乗り、8時間耐えてようやく成田に降り立ち、そこから京成電車に乗って――自宅にたどり着いたのが、午後5時すぎでした。

ぜんぜんゼイタクして(遊んで)ません。今回は「僧侶特権」(寺に泊めてもらう)も行使しての、徹底的な貧乏、いや節約旅行でした。(旅費浮かして、ダンマの活動に当てられたら、という思いもあり。)

冷たい部屋で、灯油ストーブに火をつけて、「帰ってきた~~~~~~~~~」と実感。

「毛根の一本も残っちゃいねえ。燃え尽きたぜ、真っ白にな」(あしたのジョーかぶってます)

ちと思い出したのが、かつてインドネシアの密林の道中で夜の暗闇に呑まれてしまい、食糧もなく,烈しい雨に打たれながらその雨水をタオルで口に運びながら、「人間は、こうしてあっけなく死んでいくのか」と思いつつようやく朝を迎えて、重たい足を引きずるように歩いてひと里へとたどり着いた、という体験。あれに次ぐ疲労感。

成田につくや否や、コンビニで梅干おにぎりを買い(戒律もへったくれもございません)、上野ではあんまんを買い、神楽坂ではマックで百円珈琲をすすり、「ああああああ、日本じゃ、日本じゃあああ(脚色あり)」と感動の涙にむせびつつ、ほんっとうに久しぶりの日本風情を味わったのでした。

帰ってきたのは8日なのですが、それから二日ほどはぼーっとしてました。今回のインドの旅は、あまりに激しく濃厚だったので、アタマが日本モードになかなか戻ってくれないのでした。

お菓子のまちおかで普段は買わないスイーツを買い、神楽坂にある「おやじの唐揚げ店」で新発売のチューリップ(鶏の足の揚げ物)を衝動買いしてしまい、コンビニに行って、「ナゼ日本ニハコンナニモノガアフレテイルノカ?」と感動のため息をつき、

ちょっと遠出して、スーパー銭湯に行って、きれいでアツアツのお湯に感動し、雪山のニホンザルさながらに露天風呂につかって灰色の空を見上げて、日本の冬を心から堪能したのでした。

金曜、土曜と、カルチャーの講座があって、遅ればせながら、「あけましておめでとう」のあいさつ。インドとはまったくちがう、日本仏教・大乗仏教の世界を語るのです。なんだか、まったく異質の人生をパラレルに(並行して)生きているみたい。昔の自分ならば、きりかえが効かなかったかもしれない。でも今は、仏 教の思考法(“智慧”とよばれている心の働かせ方)があるので、混乱せずに悠々とやれます^^)。教室のみんなと会って話をすることで、私自身もまた新しいエネルギーをもらいます。

講座が始まった昨日あたりから、ようやく体力・気力が回復してきました。日本モードのアタマも戻ってきたようです。

季刊誌12月号も、ようやく発送作業に入れます。待っていてくださった方々、ごめんなさい。
早い人なら来週前半には届くと思います。歳末特集号なので、みなさん、あらためて年の瀬風情を味わってくださいませ^^)。


仏教講座のスケジュールは、追って連絡いたします。
「今年も、仏教、やるぞ(ちゃんと生きなきゃ)」という気持ちになりません? 私だけ?(笑)。


取り急ぎ、ただいまのご挨拶。

本年も、よろしくお願い申し上げます。
草薙龍瞬

ナーランダ 衝撃のお坊さん

1月4日
 今回の旅はひとヤマ越えた感じがする。水プロジェクトをインドで進めるために必要な(というかここを欠いては絶対に成功しないという死活的な)情報をなんとか手に入れることができたように思うから。

 ムンバイでは、カビールというIT会社経営者にして音楽家というユニークな25歳に出会った。彼もこの水プロジェクトに参加したいという。1日の水道局長との面会の場に彼はいた。あとでこう語ってきた。

「局長はこの水プロジェクトを必ず支援してくれますHe will definitely help this project。だって、バンテジー(私のこと)が、“このプロジェクトはメッタとカルナに基づくダンマの活動だ”って、あのとき言ったでしょう。あれで局長はヤル気になった(He got motivated)んですよ。あの席でマラティ語で、“もし汚染地域の行政官がポリグルの使用に反対したら、わたしが権限を使ってやらせるthen I will use my power”って言ってましたから」

 局長は、マハーラシュトラ全州の水道事業を統括する最高の地位にあるひとだ。その人間が熱意を持ってくれたなら、最高に心強い。このプロジェクト、ダンマ(仏教)というつながりにどれだけ助けられていることだろう――。

 今回自覚したのは、インドにおいて僧侶というのは、相手をソノ気に(モチベーション・アップ)させる役目を負っているということ。そのためにはもちろん僧侶がひと一倍の情熱を持っていないといけないが、この命にはそれがあるような気がする。

 かつての自分は、エネルギーと理想をもてあまし、どこに行っても物足りなさ、居場所のなさを感じて流浪しつづけていた。だが、この地では、自身の情熱を真正面からぶつけてゆける。もちろん、それでモチベーションの火が広がってゆけるのは、彼らインド仏教徒にも同様の熱意があるからである。予定調和の世界に生きる、なあなあグズグズ(失礼)の日本の社会(またはビジネス業界)では、こういう動きはなかなか作り出せないかもしれない。

 カビールがいうに、「うちの家族は昨夜とってもハッピーだった、だって初めてモンクが家にきたから。バンテジーが帰って(夜12時すぎ)から、家族は2時間もディスカッションしてたんですよ」

 昨夜は夜十時に、カビールの親の家に招かれて食事をし、そのあと短いダンマの話をしたのである。仏門に入りたての頃、東北の禅寺で和尚に質問したら、「ワシに聞くな、オマエがわかったら教えてくれ」と言われたことがある。その話をしたら、なぜかウケたのだった。インド人はよく笑う。気取りがない。そして笑いのツボが日本人と似ている。

●パトナ編
(ここから先は、あえて人間くさく描写してみます――。)

 ムンバイから飛行機でパトナへ。オートリクシャ(三輪バイク)でバスステーションに行って、地元のバスでがったんがったんと激しく揺られて3時間、さらに乗り継いで30分で、めざす目的地ナーランダに到着。もう日が暮れてしまっていた。(ここまでで60ルピー=110円しかかかってない。みよ、この貧乏旅行を、いや違った、出家の底力を。)

 ナーランダというのは、全盛期の7世紀には一万人もの学僧と千五百人の教師役の長老たちがいたという仏教大学。12世紀に仏教は滅びてしまったから、今は石レンガの遺跡しか残っていない。

 日本で聞いていたのは、最近この地に、国際ナーランダ大学という仏教大学ができたということ。インド、日本、その他の政府がバックアップして作った大学。昨年十月にはいくつかの講座がすでに開講された、と日本のニュースにあった。JICAが進める事業の一つでもあるらしい。その仏教とゆかり深しこの地にポリグル浄水装置をつくれないか、という目論見で今回来たのだった。

 ナーランダのあるビハール州は、インドでも最貧の土地だそうだ。たしかにバスでの道中、砂埃にまみれて久しく水を浴びていないとおもわれる子どもたちや、レンガを積み重ねただけのバラック同然の小さな家が何軒も接(つ)ぎ足されて肥大化した“複合住宅”や、道路のすぐわきで土のさかずきを黙々と素焼きしている女性たちが見えた。バスの揺れも、これまた久々に感じる、腰を垂直に落として腰痛になってしまうかと思われるほどの激しいタテ揺れだった。(佐々井師に会いにインドをバスで旅したときを思い出した。)

 今回インドでは、のどをやられて風邪をひくわ、野犬に噛まれるわで、なかなかハードボイルドな道ゆきだったし、最近インドから日本に伝わってくるニュースはかなりの危険を思わせるものが多かったせいもあって、地元の老朽したバスに肌色のちがうインド人に囲まれて乗りながら、夜の帳が降りてゆくのをみるのは、いささかの不安をさそうものだった。

 しかし、目的地をいえば乗客の何人もがやたら詳しく(といっても現地語なのでまったくわからないが)伝えてくれるし、切符も「60ルピー」といわれて100ルピー紙幣を手渡したら、おつりがなかったらしく離れていってしまって、まあいいか、と思っていたら、忘れた頃に、40ルピーのお釣りをちゃんと持ってきてくれたり、降りるときも大きな旅行バッグをおろしてくれたりと、なんだか自然に親切なのである。インドというのは、極悪のかぎりといっていい犯罪や汚職、差別もあふれているが、圧倒的多数のひとは、素朴なのか、諦念なのか、信仰にもとづく理由があるのか、とてもフレンドリーで穏やかでやさしいのである。不思議な世界だ。

(日本のガイドブックには、どこでダマされたとか、ボラれたとか、この場所のこういう人間に注意とか、いろんな警戒が語られているけど、率直にいって、「セコイ」と思う。ソンかトクかという発想が目につくように感じる。払える余裕があるのなら、言われる額以上を出したっていいではないか。出てゆくお金はみな「お布施」だと思ってはいけないのだろうか(そりゃたしかにそうは思えないシチュエーションもあるけれどね)。)

 とっぷりと日が暮れたナーランダの大通りを、ゆびさされた方角へと歩いていく。裸電球ひとつで営業中の果物売りの露店で、オレンジを買う。他にもちらほらと夜店が開いていて、道はけっこう明るい。

 さて、ナーランダ大学の校長先生という大僧侶はどこにいるのだろう。というか、大学ってどこにあるんだ?と思いながら、雪駄でペタペタとインドの夜道を歩いていく。

 右手に大きな鉄門がみえた。その門をどんどんどんと叩いて叫んでいる男がいる。門の上をみると、仏教のシンボルのひとつである法輪のような鉄のサークルが。さらによくみると、五色がおりなす仏教旗が。ひょっとしてここが大学?と思って、男に声をかけてみる。

 男はミャンマーのラカインから中国へと渡った親をもつ、ビルマ系二世の中国人で、仏教学の教授だとか。丸顔に眼鏡をかけた顔は、たしかに東洋人である。「ニホンゴ?」(知ってる日本語はそれだけらしい)

 新設されたというナーランダ国際大学を探しているのだと伝えると、「あれはニュースだけで、じつは何も始まっていない」という。いわく、発起人とされる女性が、今の首相(不評さんざんで退陣間近の)マンモハン・シンと昵懇(じっこん)で、外国政府に呼びかけて資金を集め、それで自分たちの私腹を肥やしているとかいう話なのである。

(この手の話はインドでは日常茶飯事だ。しかし”外国”、だまされやすすぎないか? だれかまじめに視察しろって。)

 校長の名前を伝えたら、その場で携帯をとりだし、電話してくれた。ヒンディーでぺらぺらとしゃべっている。「いま迎えに来ます」という。

 さあ、いよいよナーランダ大学の校長先生に初対面である。スリランカで学んだパーリ語の先生らしい。失礼のないように正装して(わかる人にはわかるあのミノムシスタイル)、大長老のご来迎をまつ。

 あ、きました、と教授。500CCの大型スクーターが闇の向こうから現れる。てってけてー、という感じ。

 大長老・・・赤と黄色のリバーシブル毛糸帽、真っ黄っ黄の毛糸のセーター、赤の腰巻(僧衣の下側)、といういでたちでやってきた。ふっくらとした顔と、ボリュームのあるまぶた。かぶっている帽子は耳うえのへりの部分が真っ赤で、その上の頭頂部が真っ黄色。ピエロ?と思えなくもない。

 はじめまして、と合掌のあいさつ。スクーターのうしろに乗せてもらって、またてってけてーと移動する。ちなみに、テーラワーダではバイク乗りなど考えられない(寺の敷地内なら車・バイクもOKという裏戒律があるのだけれど)。

 案内されたのは、大学構内の、公営住宅みたいなアパートの二階。

 入ると、いきなりギーコギーコとかんなをかける音が。なぜか夜の長老の部屋で、ターバンをまいた男が大工仕事をしている。派手な作業音と、もうもうと舞うかんなくず。そのすぐとなりに席を出して、「さ、どうぞ」と進めてくれる。

 奥の部屋では子供の笑い声が。のぞいてみると、ベッドに座って28インチ大画面でテレビをみている女の子ふたり。???

 やかましい大工仕事の隣で、ポリグルの説明をする。水中の汚れが凝固して沈んでいく様子をみて、目を見開き「オウ!」。じゃこれはどう?と、水道水をコップに入れて持ってくるので、またやってみる。「オウ! チッチッチッ」と、これはいけないねえという感じで舌を鳴らす。

 では、『アクアガード』ではどう?と、インドの家庭に広く普及しているという簡易浄水器のところに私を連れていく。この浄水器、インドでは1万5000ルピー(約28000円)するという。いくつかの小型タンクが内蔵されている。白い繊維質のロール状のフィルターは、300ルピーで、定期的に交換するというのがメーカーの指導。

 そのアクアガードの浄水で、実験してみる。やっぱり灰色の布海苔みたいな塊がコロコロとでてくる。「チッチッチ(困ったのう)」。

 ではでは、と今度は、できたてのチャイ(ミルクティー)で実験。多めに入れてみるとやっぱり同じ反応が。「ハハー^▽^」。この坊さん、楽しんでいる……。

 「スリランカライス、食べたことある?」と聞く。そのまなざしは、どこか悪巧み中のいたずらっ子を思わせる。ナイと答えると、「じゃ、ためしてみろ」と、また台所へ連れて行く。

 深鍋に、野菜とカレー粉をちゃっちゃっと入れて、ガスの火にかける。インディカ米もボウルに開いて、簡単に羽虫をつまみとって水洗い。この坊さん、食事もつくるらしい。

 食器も、黄色、ピンク、緑、パープルとあざやかな色のものが並んでいる。アパートの部屋のいたるところに同じ色合いのカーテンとか本棚とかテーブルとかが置いてある。今、新作を作成中のターバンの男がしつらえたものらしい。デザインはこの坊さんがするのだそうだ。いわく、「カラーがあると退屈しないだろう?」

 ターバン男の新作をチェックして、注文をつけている。で、「ここに電気プレートを置いて、こっちの右側には湯ポットを置いて」と私に解説。ほかの部屋には、中国風の回転テーブルも。


 すべてにかいがいしいというか、まめというか――このひと主婦?

 御飯ができる頃になると、女の子二人が台所にやってくる。坊さんのすそをひっぱって、何かしゃべっている。このおっさん、いや坊さん、パパ?

 まもなくして、小柄なインド人女性が入ってくる。下に住んでいる。女の子たちの母親。仕事なし。父親もなし。母子そろって、坊さんのアパートに毎日きている様子。

 台所の光景をみていると、なんとなく不思議。赤と黄色の衣をまとったお坊さんに、女の子二人がまとわりついて、その母親の女性が居間で野菜を捌いている。ひとつの奇妙な家庭ができている。

 このお坊さんはラダック出身で、だから東洋人の顔立ちをしていて、スリランカで15年暮らして、それからインドにやってきた。私がバンガロールでお世話になった長老は、彼のお師匠なのだそうだ。今はナーランダ大学の校長(には見えないけど^^;)。そのアパートには、こうして父親のいない母と娘が通ってひとときをともにしている。

 なんだか、すべてが普通の空気である。あたたかいのである。わたしも自然にくつろいでしまう。お坊さんがあまりにも自然体だからである。

 夜十時を回って、母と娘たちは下の階へ。その前に子どもが簡単な礼拝を、私たち二人の坊さんに。私はまじめに慈悲の念を送った。だが、彼はその女の子の背中をむぎゅーと両手で押しつぶす真似をしてみせた。女の子が笑いをこぼす。この坊さん、子どもの愛し方を知っている。

 それからお坊さんは、ていねいに私の明日とあさっての日程を組んでくださった。ラージギル、ブッダガヤ。車と宿泊先を手配してくれた。

 今度来るときは、一緒にビハールの村落を回るとよい、と言う。彼はもう200にのぼる村落の人々を仏教に改宗させたそうだ。インド最貧困の州の、交通にすこぶる不便な辺境の地で、こうして教えを実践している僧侶もいるのだ。仏教の裾野、大河の支流は、かぎりなく広い――と、こういうとき実感する。

 テーラワーダの伝統では、女性を部屋に入れるのは破門にもつながる戒律違反だし、スクーターに乗るのもアウト。夜夕食をとるのもだめだし、外に出るときは、海苔巻き、いやミノムシ、あれどっちでもいいや、ふうのその“正装”姿に扇をもって、周りを見回すことなく寡黙に歩く、というのがルールである。このお坊さんは、戒律という点では完全に外している。

 だが、そういうひとのそばにいると、こちらもとてもくつろげるのである。

 正直、プライドがやたら高くて、取り澄まして、上から目線で、ひとの言うこと・聞くことをクダラナイと一蹴し、自分の優越性を守ることが意識下の最優先課題で、涅槃が目的といいながら、ワタシたちは普通の人間だから、来世があるから、と目的外の世事にいそがしく、都合のよいところだけ「おシャカさま」を持ち出して我見・伝統を正当化してみせる、テーラワーダの長老さんたちよりも、ずっと正直で素敵なようにも思うのだが、いかがだろうか。

 なんとも衝撃的な、ニュータイプのお坊さんである。私がまだ知らない道を実践されているお方であるとお見受けした。戒律違反という認識は、もっと大切な部分を見落としてしまう、筋を外した反応だろう。この坊さんには学ぶべきところが多々あるように思う。人間的に好きになれる御仁である。

 また訪れよう。そして同伴させてもらって、彼のダンマ(仏教に基づく活動)を見させてもらおうと思う。(何歳になっても学べる相手というのは見つかるもんなんだ。世界は広い。そして私は幸せである。)

 さあ、明日はブッダガヤ。7年ぶりの、覚者(ブッダ)誕生の聖地である。

 (ああ、今回の旅もあと三日だけなんだね――。)

インドからあけましておめでとう

1月1日
 日本では「あけましておめでとうございます」と笑顔で挨拶を交わし、コタツに入ってテレビでも見て、初詣にでも繰り出している頃だろうか。インドには、正月はほぼないといっていい。

 今日は午前に、ムンバイ大学の学部長と面会。大学でのセミナーの確約をとりつける。彼は社会科学部の学部長で、ポリグルプロジェクトの社会的意義――安全な水を供給し、地域に雇用をつくり出すこと――をストレートに認めてくれた。大学が全面的にバックアップしてくれるという。

 午後2時半には、場所を移して、州水道局の局長と面会。ここでは一転して、かなり厳しい指摘を受ける。彼いわく、自分たちはインド国民の安全と健康とを担っている、安全性が科学的に完全に証明されないかぎり採用するわけにはいかない、という。なるほど……合理的である。

 かりに安全性を認めてもらえたとしても、コストの問題が残る。今インドで処理している技術の費用と、今回の日本側の提案のどちらが、費用対効果の点で勝るか。インドの側としては当然考慮する点だ。

 この点、日本の水準にてらせば、インドの水道の水はけっして安全とはいえない。しかしインド人たちがその水を日常使用し、特に健康被害がないというのであれば、それはインドにおいては「問題がない」ということになる。日本のほうでいくら「もっと安全な水がつくれる」と主張したところで、インドの政府が採用することはないだろう。彼らが協力してくれるというのは、日本側の甘い見通しでしかない。

 どうも・・・私たちが日本で考えていた通りにはいかないらしい。彼が他の仕事で席を外した間に、アタマをふりしぼって考える。どう訴えれば、彼らインド政府の高官たちに動いてもらえるのか。どうすればこの水プロジェクトをインド政府に受け入れてもらえるのか。

 結局、「人間として」この地で何をしたいのかをまずは伝えることにした。

 一昨年前の秋に、ラケシュたちから黄色く濁った水道水の写真をうけとったこと。なんとかしなければと痛切に感じたこと。インドにも、世界にも、安全な水が手に入らずに困っている人たちがたくさんいるだろうこと。この水プロジェクトを進めている日本の方は、世界中の人々に安全な水を提供しようと齢70をすぎてなお世界を駆け回っていること。これは人間として成し遂げなければいけないプロジェクト。あなたがたもインドの人たちに安全な水を提供したいでしょう、われわれはあなたがたの仕事のお役にも立ちたい、インドの人々に貢献したいのだ――という話をする。局長は、今度はじっくり話を聞いてくれた。

 彼が提案してくれた今後のだんどりはとても明快で、実行は簡単ではないが、このプロジェクトをインドで進めるために何が必要か、きわめて整然と示してくれた。

「今のインドの水道技術では、化学汚染を取り除くことは困難だ。もし日本が提供するというその新技術で汚染を取り除けることを証明できるのであれば、我々としては協力しない理由はない。中央政府にも話をしましょう」

 ようやく、段取りが見えた――。

 局長の隣にひとりの男性が黙って座っていた。局長がいうには、「彼も仏教徒です。彼は、あなたにどうしても聞きたい質問があるといっています。それは――あなたはモンク(僧侶)なのに、どうしてこういうことをしているのかWhy is a monk like you doing this kind of thing?ということです」
 それならば答えは簡単である――これは慈しみMettaと悲Karunaに基づいた活動なのである。

 さすがに仏教徒だけあって、メッタとカルナという言葉に反応して深くうなずく。

「わたしはつねにブッダの教えに基づいてインド社会の現実を理解しようとつとめている。人々が苦しんでいることがあれば、悲を感じる。なんとかしなくてはと思う。そしてできることならばなんでもやる。

  僧侶というのは、人類の幸せに責任がある。苦しみ、問題が世の中に存在する限り、それに向き合い続けなくてはいけない。私は真剣にそう考えている。それこそが(部屋にたてかけてあるアンベドカル博士の大きな肖像画を指差して)ババサブのメッセージでしょう? 水プロジェクトは慈悲に基づくダンマの活動の一環なのです」

「クリアになりましたか? Is it clear?」。二人ともうなずく。

 局長が「家族でプージャ(供養)をします」という。奥さんや息子さんたちと一緒に、床にぬか(額)づいて三回礼拝のポーズをとる。「あなたがた幸せでありますように」という慈悲の念を送る。局長の隣で聞いていた男性も同じく三拝する。

 一室に通してくれて、そこでしばらく休んでから夕食をどうぞ、とすすめて下さる。

 部屋の壁には、ババサブの肖像画。机にはババサブと仏教の本。入ってきた息子さんによると、父親(局長)は勉強にすさまじく励んで今の地位についた。彼の兄弟たちは、大学教授とか医者とか全員、社会的に一定の地位を築き上げている。息子である彼もまた、中央政府の役人になることをめざしているという。彼の世代になるとそれほどカーストの壁は感じない。しかし父親が子どもの頃は、まだ露骨な差別(いじめや暴力)が横行していた時代だったそうだ。

 その途中でドアが静かに開いて、ゆっくりと老婦が入ってきた。局長のお母さんであり、息子さんのおばあさん。今80代半ば(正確な年齢はわからないという)。まだババサブが出現する前に生をうけた人。文盲で、若い頃には家もなく、たいへんな苦労をしたのだという。それでも五人の子供を立派に育て上げた。

 私のベッドに腰をかけてきて、頭が痛い、まぶたが痛い、お腹の脇が痛い、ひじが痛い、といろいろと訴えてくる。目は白内障でちょっと濁っている。息子さんによると、「いつもぜんぜん笑わない」のだそうだ。

 午後に最初にこの家にきたとき、老婦は応接間のソファに静かに座っていた。この地の老人たちは、動きが穏やかで、話し方がやさしく、なぜか雰囲気そのものがすごく温かい。家族が大切にしてくれるからだろうか。

 午後、局長が席を外した間に、老婦は私に、体のあちこちが痛いのだと訴えかけてきた。私はそのおでこに手を当ててお経を称えてみた。目を閉じて静かに聞いている。こういうのは、効くかどうかよりも、どんな思いを交わせるか、心で触れ合えるかということだと私は理解している。心からのやさしさを送れるようにと祈り、念じた。

 その昼間の出来事を受けて、ふたたび夜へやに入ってきた老婦である。私のベッドに座り込んで、老婦特有のやさしい声で、またからだのあちこちが痛いのだと訴えかけてくる。「ババ(せんせい)、どうすればいいの?」と哀願するような目で聞いてくる。

 私はふたたび掌を老婦のひたいにそっと当てて、「サッベー、サッター、バワントゥ、スキタッター」(生きとし生けるものが幸せであるように)と念じる。なかば子守唄のような声音である。老婦は気持ちよさそうな顔で、じっと目を閉じて聞いている。

 もし体が痛くなったら、手を合わせてこの言葉を称えてください、と伝える。一緒に練習する。老婦はもう、ろれつは回らないし、記憶もついてこない。「サッベー」「さっべ」、「サッター」「ぱった」、「バワントゥ」「ぱった」、「スキタッター」「たったー」。繰り返し聞かせて、一緒に称えてもらう。

 私が言葉を止めて、ご婦人にひとりで称えてみるようにうながすと、手を合わせて何度も「さっべ」と称える。ひとつの言葉を一生懸命に発している間は、心の苦悩はすこしはやわらぐかもしれないから。老婦は、なんども称えつづけた。なんともいえない美しさを放っていた。

 しばらく称えたあと、老婦はマラティ語でいろいろと話しかけてきた。息子さんに通訳してもらったら、お父さん、お母さんはどうしているのかとか、兄弟はいるのか、とかいうこと。いろいろ話をしているうちに、老婦が笑顔を浮かべるようになった。なんてやさしい笑顔なのだろう。「ババ(私のこと)も息子のひとりって言ってます」と息子さん。

 てのひらをほっぺにあてて横になる仕草をしてみせる。「横になって休むようにと言ってます」と息子さん。私が横になると、ご老婦はゆっくり立ち上がって、ベランダに出て、またゆっくりと入ってきた。洗濯物を抱えている。そしてていねいにたたみ始めた。そばで見る老婦は、五人の子どもを苦労尽くしで育てた「お母さん」の顔になっていた。おわるとまたゆっくりした足取りで部屋の外に出ていった。

 しばらくして応接間にいくと、局長さんが仕事を終えてソファに座っていた。青いポロシャツに短パンのラフな姿。その隣に小さく収まっているお母さん。局長さんはやさしく母親の肩を抱いている。

  母親はまたやさしい声のマラティ語で息子に何かを話しかける。「もう逝かせてくれって言ってます。もう十分生きたって」。

 そして覚えたての「さっべ」を称え始めた。老婦が称えているその言葉は、“慈しみ”を表現した、おそらく人間の言葉のなかで最も美しい内容をもったものだ。その美しい言葉をけんめいに息子に聞かせている姿。そしてそれをかぎりなくやさしいまなざしで聞いている息子。私はその様子に内心見とれていた。

 夜十時をすぎて遅い夕食。帰るときに局長さんに伝えた。

「あなたに、そしてあなたのお母さんに最大の敬意を表します I give my full respect to you and your mother」

 手を振って家を出た。なぜだか、言葉が出なかった。沈黙したまま、最寄りの駅から電車に乗った。

 今日出会った、午前のムンバイ大学の学部長も、午後の水道局の局長も、その母親であるご老婦も、心からの尊敬に値する人たち――というか、もう言葉にするのも野暮なくらいの、すごい人たちである。その見識の高さ、積み重ねてきた努力の量、そしてひとをいたわる広い心。見知らぬ異国の人間を、ここまであたたかくもてなせる人たちなのである。そう、アンドラプラデシュのあの前州大臣もまた、スケールの大きな人だった。みな仏教徒である。みなすごくないか、本当に。

 正月風情は、インドには確かにまったくないけれど、でもこうして、とても自然な流れで、おのずとアタマの下がる、やさしく、強く、広くて大きな心の人たちに出会える。この幸運はなんだろうか。

 サッベー、サッター、バワントゥ、スキタッター(生きとし生けるものよ、幸せであれ)

 あのご婦人がいつまでもあそこに生きていてくれたら、という思いがよぎる。
   しあわせをともなう執着もある。

ムンバイで年越し。みなに幸いあれ

2014年1月1日
新しい年がスタートしましたね。あけましておめでとうございます。

といいつつ、正確にはインドではまだあと1時間強2013年が残ってます。今ムンバイにいます。

たしか去年は、バンガロールの民家で年を越しました。今年は、ムンバイの高層集合住宅(向かいの部屋の子どもが入ってきてHappy New Year!と握手を求めてきたくらいの庶民的な空間です)の一室で地味な新年を迎えそうです。

日本の冬風情あふれる年越しが懐かしい……最近いつ日本のお正月を楽しんだのか思い出せません。

12月25日にウダサ村で小田会長じきじきのセミナーを開催し、
28日からはアンドラプラデシュ州へ。前州大臣であり、来年春の州選挙に再度出馬するというかなりやり手の政治家と会ってきました(ジャック・ニコルソンにアゴひげつけて褐色に塗ったら彼の顔そのものになります(笑))。

彼が主催する決起集会にお坊さんとして呼ばれたのだけど、インド人の集会というのは、どなる、がなる、叫ぶ――とにかく穏やかに語って聞かせる、理屈で説得する、という発想が微塵もないもので、とにかくやかましい。壇上にはスピーカー(話者)が溢れていて誰かがたえず何か訴えている。聞いている人の数より語っている人間のほうが多いくらい。「ビョーキだ...(しゃべりの)」と思ったくらいにみなよくしゃべる(ちなみにこの地はテルグ語。ヒンディーもマラティも通じない)。

前州大臣のジャック・ニコルソン(便宜上そう呼ぼう)は、集会にくるゲストみんなに手を振り、挨拶し、最初から最後まで壇上に立ってケダモノの咆哮なみのいきおいで何かを訴えている。

私を案内してくれている側近の人が、「バンテジー(私のこと)とのミーティングはどうしますか?」と壇上のニコルソンに耳打ちする。「今晩かならずバンテジーの部屋に行くから」と言う。

あんまりにも忙しそうだったから、ほとんど期待せずに部屋で作業をしていた。そしたら、夜、ほんとに彼がやってきた。たったひとりで。

この地のひとたちがえらいと思うのは、どんなに地位が高い人でも坊さんを敬うことである。ニコルソンも、わざわざ靴を脱いで、私の足に手をつけ、その手を自分の胸に当てて合掌(^m^)してみせる。

(ちなみに、2013年に教室で一番印象に残った光景は、「わたしは救いを求めてきているんだ!」と自己主張していたシニアの男性が、目の前で私が終わりの合掌をしているにもかかわらず、まったくこちらを見ないでバッグに資料をほうりこみ片付けに入っている様子。いつもそわそわと落ち着きがない。Aを語ればFについて質問が返ってくる。礼節すらまともに返せない――それで「救い」なんて手に入ると思いますか?^へ^;)。

多忙すぎる一日の終わりに、こうしてたったひとりで会いに来るのである。じつに男気があるではないか。

再び州大臣に立候補するんでしょう?(イエス)
アンドラプラデシュの人たちに貢献したいのでしょう?(イエス)
だったらぜひ紹介したいプロジェクトがあるのです――と、ポリグルによるインド水プロジェクトの概要を説明する。

アンドラプラデシュは、ケララについで水と緑の多い州。今回訪問した場所も、いたるところに川・運河・溜池・井戸水があって、大地は緑にあふれている。同伴したラケシュも(なんでこんなにもちがうのだろう)というような顔で景色を見つめていた。

だから、この州の人々は水に困っていないのではないか、とふってみたら、ニコルソンは大きく首をふって、それはちがう(ノー)という。水の汚染はこの州でも問題だそうだ。

いくつかの場所を紹介するから、あなたが現地を見て、日本に伝えてみてくれ、という。

選挙前の忙しい時期に私が戻ってきても、便宜をはかってくれるかと聞くと、「もし私が対応できなければ、誰かをつきそわせる」と言う。「オリッサ州はどうか」ともいう。インド29州のうち最も後れている州なのだそうだ。そこも紹介しようという。

がっちり握手。彼もまた仏教徒である。

ニコルソンは、マヒンドラ(インドのメーカー)の高級バンに今回招いたゲストたちをのせ、私を一番前の助手席(本来は彼の席)に乗せ、ラジャムンドリー駅前の食堂で晩餐をふるまってくれた。

そしてみずから駅の長いホームを歩き、駅長と車掌とにかけあって、私とラケシュの席を確保してくれた(インドではあらかじめチケットを買ってもブッキングが重なって座席をとれないことがままある。今回はそのおそれがあった)。

駅の人たちも「前州大臣ですね」と知っていて、特別の便宜を図ってくれた様子。ホームを歩くだけでも、彼となじみの人が何人もいて握手につぐ握手。この男は、人間ばなれしたエネルギーの持ち主。しかも義侠の男。前を歩く彼の、中背だが分厚く広い背中は、ただなんとなく孤独を感じさせもする。ひとの前を歩き続けるというのは、並ならぬエネルギーがいるだろう。

「ラケシュがこの三年、あなたのことばかり話していた。ようやく会えた」とニコルソン。

「ひとびとのためにがんばってください。あなたとあえてよかった」と私。

彼が確保してくれたエアコン車両に乗り込む。最後に分厚い財布をとりだして餞別を私とラケシュに手渡そうとする。さすがに固辞したけれど。

彼は政治家である前に任侠の男である。ここまで男気が伝わってくると、やはり当選してくれたらいいな、と思ってしまう。そう思わせるのが政治家の器量なのかもしれない。

で、人生で初めての(ラケシュも初めて)AC(エアコンつき)寝台車両に乗って9時間かけてハイデラバードへ。そして飛行機1時間半でムンバイへ。

ここでも州政府のかなり上層の人たちと面会する予定。ここでは言えないけど、他にもいくつかびっくりするくらいの面会予約が進行中。ダンマを共有する僧侶と、熱意あるインド仏教徒たちがつながると、ここまでダイナミックで広範囲の活動がスピーディに展開できるということ。もちろんプロジェクトの成否はこれからの問題。だが、手前味噌でなく、ここまでインド社会に密着して、現地ネットワークと情報に通じている組織は、そうそうないだろうと思う。うまく運んでくれたらと願う。

いうまでもなく、この活動は、〈貢献〉(役に立つこと)をモチベーションにしている。どれだけ役に立てるか、どれだけ貢献できるかというチャレンジなのである。それが果たせれば最高にハッピー。そういう発想を共有できる人間が、このインドには面白いくらいにたくさんいるのである。

昨年の今頃は、5年半ぶりにインドに帰れるかどうかというあやうい状況だった。教室でほそぼそとカンパをつのったりして。ところが今年ははや5回目。もちろん、おかげさま、感謝すべきは――である(野暮なんであえていいませんけど)。

新しい年は、ますますこのプロジェクトがインドに広がっていけばいい。

そして日本でも、昨年同様に、あたたかい出会いを大切にして、いろんなひとと出会って、仏教を伝えて、ひとがしあわせになる瞬間を垣間見ることができたらと思う。

あ――外で花火の音が。インドでも年が明けたようです。

ハッピー・ニュー・イヤー!

みんなに幸いあれ。