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座禅・ヴィパッサナーQ&A 「ながら」はやってよいですか?

いよいよ師走入り。
12月の興道の里は、日本仏教編の年納め(13日)と、クリスマス会(20日、23日)、さらには仏教2014年ベストセラーに見る名言・珍言ベストテン(27日神楽坂)で大団円。座禅会も2回(14日、28日)あります。お時間あったらいらしてくださいね。
こんな質問をいただきました。
(なお私は自分のほうから言葉を発することをためらう習慣(これは戒律にあるのです。求められていないことを語るな、という)があります。だからこういう 質問を受けることは言葉を発するきっかけになるので大歓迎です。特にこの方のように、ただの妄想ではなく「実践のためのヒント」を求めての質問は、よろこんでお答えします。)
Q 座禅を実践する中で、疑問に思うことがあるので、お手数ですが教えて頂けたら嬉しいです。それは「ながら動作」の弊害についてです。
 心にとって良くない事は、妄想に囚われてしまうことだと思います。そして、それを改善するためには、呼吸なり、自分の動作や感覚に集中して行く事だと思います。
 そういった、瞑想を実践していく中で、「ながら動作」をしてしまうことは、どの程度、マイナスになる行為なのでしょうか?
 具体的には、テレビを見ながら食事をしたり、音楽を聴きながら読書をするといった行為についてなのですが、上記の2つの動作をしているときに、余計な考え事をしなければ、最悪心は疲労したりはしないと思うのですが。
「ながら動作」をすることは、普段やっている瞑想の効果を消してしまう位にマイナスな行為なのか? または、可もなく不可もなくといったレベルの行為なのでしょうか?
(もちろん、日々のなるべく多くの時間を、一つの事に集中する事を続けていった方が良いのでしょうが、先日伺った、飲酒した後の座禅同様「ながら動作」の悪影響についても教えて頂けると嬉しく思います)


A 「ながら動作」を仏教心理学で定義すれば、「反応しながら別の反応をすること」といえるでしょう。それがよいことか悪いことか。正しいことか間違っていることか。ブッダの思考法にてらせば「目的による」ということになりそうです。

 もし目的が「ただそのときどきの快楽を味わう」という、ほとんどの人が毎日「実践」していることにあるとすれば、「ながら」はその本人にとっての「快楽」を手に入れる行為だから、目的に照らして正しく、よき行いということになるのかもしれません。

 たとえば「テレビを見ながら食事をする」ことは、ときにはテレビをみてときには食べ物の味を楽しんでという状態だから、心にとっては「そのときどきの快楽 を味わう」という目的を達成できています。だから問題ないということになるでしょう。「音楽を聴きながら読書する」という作業も同じです。心にとっては快 楽の連続がある。他の刺激を求めなくても、心は反応し続けられるし(反応すること自体がひとつの快楽)、快楽もあるということでとても居心地がいい状態で す。ぬるま湯につかって熱燗を一杯、みたいな状態なのかもしれません。

 その一方で「弊害」はないのか。あなたが考える「弊害」とは、 「妄想に囚われてしまうこと」「心が疲労してしまうこと」そして「普段やっている瞑想の効果を消してしまうこと」のようです。たしかにどれも弊害ではあり ます。もっともその「弊害」については、テレビを観ながら食事、音楽を聴きながら読書、というレベルであればさほどないのではないか?とあなたは感じておられるようです。

 仏教では「弊害」というのは「目的に照らして役に立たないこと」と考えます。役に立つか立たないかは、目的によって決 まるのです。そこで禅瞑想の目的を4つ挙げてみましょう――①心を清浄にする(湧いてしまった雑念や煩悩をリセットする)、②ムダなことに反応しない心をつくる、③気づきの力を上げる、④高い禅定(気づきと集中と継続が一定レベル以上で続く精神状態)をめざすというのものです。これらにてらして、「なが ら」が役に立つかどうかを考えてみましょう。

 確実に「役に立たない」といえるのは、②③④の目的についてです。まず「反応しながら別の反応をする」状態というのは、心をこれまでと同じ「ただ反応する」状態でキープする(つまりは成長させない、能力を上げない)ことを意味しますから、その心の状態ではけして④「高い禅定」にはたどり着けないでしょう。③「気づきの力」も上がりません。ただこれまでと同じ、フツーの精神状態で生きていくというだけです。

 ちなみに、もし「テレビを観ながら食事をする」というのを「気づきの力を上げる」ことに使おうとすればどうすることになるか?(面白い思考実験なので考えてみることにしましょう。)

 ――「今テレビ画面を見ている」と気づく。見える情報・画像について、「感情が湧いた」「想像が湧いた」「喜びが湧いた(楽しいと感じた)」と気づく。 「ボケっとしている」と気づく。「音が聞こえている」と気づく。「色が見えている」と気づく。食べ物に手を伸ばしたと気づく。噛んでいる、味を感じてい る、飲み込んでいる……と気づく(わかりますか? 徹底して「心の反応」だけを観察するということです)。

 これを連続して、絶え間なくやりま す。かなり忙しい作業です。「テレビを楽しむ」ヒマなんかありません(笑)。もっとも人間の心は「気づき」の力が弱いので、テレビを観れば、あっという間 に「反応」の状態に引きずり込まれてしまいます。「気づき」が働いていない、つまりは「ボーッとした状態」でただ眺めて、漠然と妄想したり感情を刺激した り感想(判断の一種)を持ったりという「テキトーな反応状態」に陥ってしまいます。だから「気づきの力を上げる」練習にはなりません。理屈では「テレビを 観ながら」気づきの練習をすることは「可能」ではあるのだけど、実際には「不可能」といってよいでしょう。

 目的②の「ムダなことに反応しない心をつくる」というのも、そのためには必ず「気づきの力」を育てる必要があります。その点で「ながら」というのはけして役に立たないということになります。

  ただ「ながら」が役に立たないといえるのは、あくまで禅瞑想の目的に照らしてです。禅の修行者ではないフツーの生活を送っている人は、これら②③④の目的 を真剣にめざしているわけではないと思います。むしろフツーの生活を送りたい人にとっては、「日常生活で味わうちょっとした心の不満や雑念を解消したい」 「忘れたい」という目的のほうが大事でしょう。とすれば「ながら」もそれなりに効果があるといえます。つまり①の「心を清浄にする」という目的にてらすな らば、「ながら」にはそれなりの効果がある、といってよいように思います。これは「お酒をたしなむ」行為についても同じです。

 残る二つ の質問について。まず「ながら」が「普段の瞑想の効果を消してしまうか」ですが、これはこう考えるとよいと思います――気づきの力が一定レベル以上に達し たことのない人については、「消えてしまうほどの効果」はまだ体験していない。「ながら」によって失われてしまうほどの心の能力はまだ育っていない。だか らあまり気にすることはない。(一方、気づきのレベルが一定以上に達している人には「ながら」はもはや不可能です。このあとすぐ述べます。)

  もしあなたが「禅定」と呼ばれるような高度で特殊な精神状態を体験したいと思うならば、一定期間集中して「一点に心を注ぐ」(もちろん「ながら」はありえ ない)状態に特化する必要があります。この境地に達するには、ひとによっては一週間くらいで可能です。ただ世の多くの人はそれほど時間をとれないのが普通 ですので、そのチャレンジは「定年後」くらいにとっておくのがよいかもしれません。今はとりあえず「気づきの練習」をする時間を定期的に作って、心の能力 を徐々に鍛えていく。将来きたるべき修行のための「準備」をしておく、くらいの気持でよいのかもしれません。

 もう一つの質問である「飲酒の悪影響(飲酒後の座禅の是非)」についてですが、これは完全に「意味がない」とお答えできます。「悪影響」というより「成り立たない」。

 飲酒というのは「気づきの力」を弱体化あるいは破壊してしまう行いです(だからこそ飲酒運転は禁じられている)。お酒を飲んで気づきの力を弱くして(あるいは破壊して)座禅をするということは成り立ちません。もしその行いのおかしさがわからないとしたら、その人はまだ気づきというものの力(パワー)を体験し たことがないのだと思います。むろん「お酒をたしなむ」という習慣はあっていいでしょう。ただ「座禅」とはまったく違う領域にある習慣です。飲酒と座禅と いう「ながら」はありえません。そこははっきりしています。

 飲酒ほどに気づきの力を破壊するとはいえませんが、「音楽を聴きながら読書」というのも、厳密には「成り立たない」行為です。「音楽を楽しむ」ことと「読書によって思考する」というのは、心の使い方としてはまったく異質であって、両立することはありえません。世の多くの人が音楽を聴きながら読書しているのは、端的に「読書していない」のです。たぶん何もアタマに入っていません。正しい理解などありえません。でも多くの人は気づきの力があまりに弱いので、そのことがわからないのです。自分は読んだ気になっている。でも実際には読んでいない。

 このことは、気づきの力(パワー)が一定レベルに達している人ははっきりとわかります。気づきの力が定着している人は、 音楽を聞くときにはきっちり聞くことに意識を向けるようになっています。「なっている」というより、そのレベルの心では、もう「ながら」が不可能なのです。気づきのレベルが高いところに達してしまっているから、聴くときには聴く、読むときには読むという行為しかもうできない。「できない(できていない)」ことがはっきりとわかるくらいに気づきの力・理解力が高くなっているということです。

(もっとも、「心が妄想に飛んでしまわないように、小さな音量で音楽をかけて適度な雑反応を作り出すことで、めのまえの作業に集中する」ということはありうると思います。もちろん「その程度の集中ですむ作業」にかぎられるとは思いますが。)

  以上をまとめると、こう表現できるでしょう――いったん気づきの能力が一定レベルに達した人には、世間の人がやっている「ながら」はできません。そういう人でも「テキトーな反応を交互にする」という意味での「ながら」はできますが、それはテキトーな反応でよい作業に限られます。「読書」という高度な思考が必要な作業については、「ながら」は不可能です。そもそも意味がありません。

 ご質問のあなたについてはこう考えることができます。テキ トーな反応を交互にする「ながら」は、雑念解消や気分転換、作業時間の短縮には役立つこともあるから適当にやってよいということになる。ただ「ながら」が けして役に立たない、意味をもたない高度な「目的」というのもある。その目的に特化する時間については、けして「ながら」はしない(厳密には「できないは ず」)。そのような時間を日常にどれだけ作るか、あるいはいつ始めるか。そこを自分で考える――ということでしょうか。「メリハリをつける」とでもいいますか。
 いかがでしょうか。
 精進してまいりましょう。

(季刊誌『興道の里』12月号に掲載します。)



宝石の国へ(インドから日本へ)

11月20日
夜十時すぎに飛行機は羽田に近づいて行った。

秋雨が降っていたらしく、日本の夜は街の灯が色とりどりに輝いていた。

インドのように日の光さえ鈍[にび]にしか見えない茫漠の国ではない。この島国は、埃も空気も、季節ごとの雨やら台風やらで頻繁に洗われる。だからこれほどに街の光が澄んでみえる。

今 回も激しく濃密な旅だった。村での生活、今回出会った活動家たちが、みな遠くへと流れていく。でも胸にあるのは望郷でも忘却でもなく、彼らの存在はとても リアルに生きている。というのは彼らは仏教をともにする同志であって、そのきずなは生涯続くということが確信できるからである。彼らは今や遠い異国であの (私も今までその中にいた)日常を生きている。でもきっちりと心はつながっている。彼らと共有する情と義が、この胸に生きている。日本の人たちにも、こう した確かな心のつながりが、家族や仕事以外の場でもあ るのだということをわかってもらえたらと思う。

インドから日本へ――違う星へと飛行機は滑り込んでいく。私のなかで声がする。

「ここから生き直せ」「また新しい人生を始めろ」

この地ではこの地でのこの命の活かし方というのがある。

日本はインドとは違ってカーストはなく、極貧や残忍な暴力というのも、ないとは言わないがあってもやはり質は違う。どちらのほうが天国(僧侶としては浄土と呼ぶべきか(笑))に近いかといえば、やはり日本であるような気がする。

だがこの国に生きる人間には、この地に生きるからこその苦悩というのもまたあるであろう。「生き方を知らぬ」がゆえの苦悩というのもまたあるはずである。

「生き方を知ること」――この当たり前のことが、どうしていつの時代どの社会においても、人間には遠いのであろう。かつての私がそうであった。生き方を知らなすぎた。身近にも存在しなかった。

帰りの電車では、赤ら顔の勤め帰りの人々がひしめき合っていた。彼らを見ているだけでも、あるいは聞こえてくる会話を聞くだけでも、いろんなことが見えてくる。

愛 着、誇り、情熱といった生きがいが枯れた状態でただ働いているだけの日常。上司や同僚についての人物評。週末の酒での気晴らし。最近友だちといった旅行の こと。職場でのセクハラ。ゲーム。ライン。週刊誌――楽しそうだったり、不満そうだったり、空しそうだったり、充実していそうだったり……。

こ の国は、モノも情報もきわめて密にそろっている。その中で、ひとの心はいろんなものをぎっしりと詰め込んで、背負い込んで生きている。よく心がパンクしな いなあと感じるくらい。パンクしそうだから息抜きにお酒を飲んでいる人もいるようだけど、それもまた新しい詰め込みのように見えなくもない。みんな「はち きれそう」に見えた。

久しぶりに見る、日本という国の夜の喧騒。そこでも私は出家として心を使う。念(サティ)を使う。慈悲を確かめる。そのとき心は停まっている。静寂である。澄明である。

「生き方を知る」とは、結局は、心の使い方を知ること。心の理解の仕方を知ること。

心を見よ。心を理解せよ。心の使い方を知れ――そう自分に語りかける声がある。

その声にしたがうとき、心は停まる。世の喧騒は関係がなくなる。外の世界がどのような状況であれ、自分がどのような場所にいるのであれ、それは動き続ける外の時空であって、自分の心とは関係がない。

心が停まると、人生のすべてから抜ける。超えることができる。

生老病死の苦。無常であるがゆえの苦。しかし心がそこから抜けてしまえば、心から苦は消える。

仏教では「不死」という言葉をよく聞く。この言葉はしかし、永久に生きる(転生する)という意味ではなく、「失うことを苦としない心の境地」を意味している。すべての現実から心が自由になれば、停まれば、抜ければ、そこに苦はない。つまりは「不死」である。

インド、そして日本――このまま生きていってよいし、ここで終わってもよいし、もっと大きな役割を果たしてもよいと思う。ただ、この心の使い方はつねに正しく知って、努めておかねばならない。

ひとは孤独を恐れすぎだ。孤独というのは何事でもない。心が「抜ける」ためのちょうどよい時間だと思えばいい。最上の幸福は孤独の中にもある。そこからまた新しい関わり、日常を始めればよい。

生き直せ。新しい人生をまた始めよ――孤独はそのサインである。孤独が語りかけているのはそういう声である。

ということを感じながら到着。出家ひとり、またこの国で頑張ります。みなさん、よろしく。

 (ヤクルトジョアがコンビニで売ってなかった……晩酌と銭湯はまたあらためて(笑))

※龍瞬語辞典 ばん・しゃく【晩酌】 嬉しいときにひとりで『ヤクルトジョア』を飲むこと。誰かの幸せに役に立てたと感じるときにおこなう。 



小さな村の生と死

11月18日
●ウダサ村で近所の女性が亡くなった。

私たちのNGOのメンバーであるアーナンダの叔母。まだ45歳。心臓発作で急死。

この地域では人が亡くなると、夜通し音楽を鳴らす。お通夜用の歌手がやってきて一晩歌を歌う。

通夜の翌日、その家を訪れた。室内に入る。床に横たわる女性の亡きがら。そこに覆いかぶさるようにして泣いている母親らしき女性。その周りを囲む縁者の女性たち。さらにその外に集う女性たち。部屋は女性たちで一杯だった。

母親はむせび泣きながら歌を唄っていた。以前見たチベットでの葬儀でも、遺族の女性たちが涙しながら唄っていた。「あなたが微笑んでいるだけで私は幸せだった」という歌詞が記憶に残っている。母親が唄っている言葉の意味はわからないが、娘が生きていた頃の思い出や、自分がいかに幸せだったかを伝えようとしているのだろうと感じた。

唄いながら、母親はなんども頬を流れる涙をぬぐい、娘の手を握り締め、娘の頬やひたいを指の長い掌で撫でていた。母親の腕は細くて、その飴色の肌は繊毛にも見まがう無数の皺を密に刻んでいた。どれほどの苦労をして娘を育て、そして娘と一緒に暮らしてきたかが伝わってくる思いがした。

私は、横たわる女性の亡きがらのそばに座り、最初にそのくるぶしを握るように手を置いた。つぎに女性の大きなお腹の上に置かれた二つの手を握り締めた。そして女性のひたいにそっと手を置いた。冷えていた。

亡きがらを挟んで座り、むせび泣く母親がいる。私はその母親にそっと手を伸ばした。ひたいに手のひらを合わせた。老母はひとめ見てかなりの高齢だとわかるが、そのひたいは驚くくらいに温かかった。生きている。歳を重ねてもこれほどまでに熱を発している。娘の亡き骸の冷たさと対照的だった。

横になった女性は、目を閉じておだやかな顔をしていた。眠っているかのようだった。この地の女性たちは朝からよく働く。水を汲み、掃除をし、食事を作り、畑仕事に出て、子どもを育て、近所の人たちと快活に笑い合う。この地に小学校ができたのは、わずか30年ほど昔にすぎない。齢40を超えただけの人たちは、この地では文字が読めなかったりする。床に眠るこの女性は、どのような顔で笑っていたのか。生前にもっと会っておけばよかった気がする。

亡き骸の頭のところに、ババサブとブッダの像が置いてある。この家庭も仏教徒だったのだ。

あれほど泣き叫んでいた母親は、私が手のひらをひたいに当てて、日本語で話しかけると、不思議なことを体験するかのような、神妙そうな、驚いたようなまなざしでこちらを見つめて、泣くのをとめた。静かになった部屋を、私は出た。

●ラケシュの家の向かい側に、プラジワルという11歳の少年が暮らす家がある。

少年には15歳以上年の離れた3人の姉がいる。その姉のひとりが里帰りしていた。生まれたばかりの赤ちゃんを連れて。

呼ばれて訪れてみると、いた。まだ生後1か月。産道をくぐったばかりの造作が残る産毛まばらな頭と赤い肌。小さな手。

「名前をつけてほしい」と言われる。この地ではお坊さんにつけてもらうのはふつう。しかも日本の名前は人気がある。4歳のお姉ちゃんが「アクシャラ」という名前なので、「ア」がつく名前が欲しいという。

一日考えて、「アスカ(明日香)」はどうかと提案。明日香は、日本仏教発祥の地の名前。しかも「明日」つまり未来という意味と、よき香りという意味も持っている。

他にも、アユミなどいくつかの候補を伝えたが、アスカがいいという。さっそくお父さんやお爺さんが「アスカ、アスカ」と呼びかけ始めた。

この子は、「日本人のお坊さんに名前をもらった」ということを一生覚えることになるのだろうなと思った。あの亡くなった女性と同じ年になっても、そしてあの母親の年齢に達しても。どんな子に育っていくのか、私なりに見守りたいと思った。

4歳の女の子アクシャラの他、近所に何人もの幼子がいる。みな母親に連れられて、あるいは自分ひとりで、よくラケシュの家に遊びに来る。ラケシュの家にも何人かの女性が暮らしているが、みな子どもたちを自分の子のようにかわいがる。

この年頃の子は、まだ笑顔で大人に飛び込むということがなかなかできない。だから私と会うと、きょとんとした顔でじっと見つめるか、反応に困って(けして怖がってではない)泣いてしまうかのどちらか。子どもの親たちが「ほら、バンテジーにナモナモしなさい」と促すので、ひたいの前で手を合わせたり、「敬礼」のポーズを取ったりするようになる。私も同じしぐさで返す。村の大人も子供も、みな家族のように互いの家を行ったり来たり。こののどかな雰囲気は、やっぱり田舎の農村ならではの魅力だろうと思う。

建築中のゲストハウスには、猫とその子猫3匹が出入りするようになった。そのうち友達になれるだろう。

その一方で、隣の家の飼い犬サンディはちょっと歳をとった。私が八年前に居候していたパワン氏の飼い犬ブーノも歳をとっていた。向かい側の十五歳の少年ダトゥが可愛がるニワトリも羽根が老いていた。ラケシュの姉が買っている緑のオウムも少し小さくなっていた。みんなが等しく歳をとっている。私も歳をとっている。

小さな村だが、小さいだけに、生まれること、死すること、老いることをすぐそばに見る。みんな美しい村人たち。

近所の双子。村では次々に若い命が生まれてます。日本も頑張ろう。

近所のサンディです。
ラケシュの姉とご飯を食べている向いん家のアクシャラ(4歳)。

おばあちゃんの大きな手でマッサージを受ける生後1か月のアスカ。脳にすごい威力があるはず。

アスカとヘンな顔をしたおじさん。





インド編2 不思議な孤独の先

10月15日
●午前は、ビハール(寺院)建設予定地の下見。

日本の人にはあまりイメージがわかないかもしれない、乾いた藁色の広大な草原。

この敷地を寄贈してくれるという男たちに再会。

「バンテジーがいないとこの計画は始まりません。You are leader now.」

どんな寺院にしたいかを彼らに聞いて確かめる。私の方から最初に言ったのは、この寺院を社会運動の前線基地にしたいということ。24時間フル稼働できる場所。活動家たちが寝泊まりできる場所。

外国人を招いてメディテーション・プログラムもやりたいと彼ら。ゲストルームも用意する。

集会用&瞑想用のホール。作業所。パソコンを設置したオフィスルーム――。

ラケシュは「珍しい形の寺院にしたい。そうすると人が集まるから」という。彼はタイ様式の寺院が好きらしい。

この場所は、ウダサ、トンブレ、ヘオティほかいくつかの村のちょうど真ん中にある、絶好の地らしい。

来年、日本人客が来たら、この地で起工式をして、ここからマンセル遺跡地に向かおうと話し合う。

建設費はどうやってまかなうのだろう? 「みんなから集める」とラケシュは言っている。きっとなんとかするのだろう。

世界を作るのは心である。この地にすでに種はまかれた。どのように実るか楽しみである。
ビハール建設予定地。はてどんなお寺になるのやら?

●午後からいくつかの村を回る。現地の活動家が集会をアレンジしている。そこに入ってスピーチなどをする。お坊さんの巡業みたいなもの。

村に入ると仏教徒の小さなビハールの前に人だかりがしている。寺に通されて、そこでみなでお経を読む。

ナモー・タッサ・バガワトー……(無上の悟りを開いた世尊ブッダに帰依いたします)

お経は、日本では哀感ただよう音色で詠むことが多いが、こちらでは力強いほうが好まれる。

そして村人へのメッセージ。お堂にはたくさんの村人が床に座り込んで、こちらを見ている。私の背には、ババサブとブッダの像。漆喰で固めて絵具で色をつけただけの、けして見目のよくない二人の像がある。だがいうなれば、インド史上の二つの奇跡。その二者をただのアイコンではなく、メッセージを発する存在感あ るものにする。それは僧侶の役目なのだろう。

この偉大な二者に共通するものは何か――それは巨大な「カルナー」(悲の心)であろう。

ブッダは、人間がなぜ苦しむのかを、自ら苦しみを引き受けつつ考えた。そして苦の原因をつきとめ、その苦しみから自由なる道を説いた。人々がこれ以上苦しまないようにと、新しい社会(サンガ:僧団のこと)の建設に踏み出した。

ババサブもまた、巨大な悲の心で、人間がこれ以上苦しまないようにと尋常でない努力を重ね、インド憲法を作って、さらに我々を仏教に導いた。

みなさんは、今回の痛ましい事件を知って、強い怒りを感じているかもしれない。その気持ちはよくわかる。

だが怒りで終わってはいけない。怒り以上に強いパワーを持った心がある。それがカルナーである。

今回私がインドに入って最初に聞いたニュースが、あの3人の村人が殺された事件だった。私は今、強いカルナーを感じている。

やってはいけないことは絶対にやってはいけない――そのメッセージを発信し続けなければいけない。

日本では(インドの人々は日本の話が好きなので)、毎年夏の終わりに戦争の惨禍と犠牲者とを追悼する儀式を行う。全国民が、戦争で亡くなった人たちの悲を想い、二度と繰り返さないようにと強く誓う。

3月11日も、一万数千人の犠牲者と、その数を超える帰る場所を失った人たちへの追悼を向ける。

そうやって毎年思いを改めて固め、二度と痛ましい出来事が起きないようにと願う。その結果、原発稼働は止まったし、経済的回復も遂げた。たしかに日本社会全体が変わった。

これから私がこの地に来た時には、必ず追悼の儀を挙げたい。毎年つづける。十年、二十年、五十年――人間として、してはいけないことはやめなければならないという強いメッセージをこのインド社会に送りたい。

行動を起こそう。悲の心で闘いつづけるのだ。そうすれば、いつか必ずインドの人々の心に届くときがくる。

われわれは、大きなダンマファミリー、ダンマチームである。数日後に最初のデモをやる。みなぜひ参加してほしい――。

ラケシュも続く。このラケシュはほんとうにすごい人。これほど聡明で徳のある人に出会えたというのは、不思議というしかない奇跡。

こんな感じでやってます
ある村のお寺の前。左に立つのは青年ラケシュ。木の下の像はアンベドカル博士。
●村から村へ移動する。どの場所にも信仰の篤い人たちが待っている。

ビハールは正直、どれも細工はよくない。日本のようにきれいに床を磨く習慣もなく、ゴミ、ほこりが床には散乱している。中に入るとざりざりと何かを踏んだ感覚がある。その床に額をつけて礼拝して、強い念をこめて経を唱える。最初の寺院ですでに声が枯れてしまった。

一通り回って、信者の家に通されたのが夜の10時半(日本時間午前2時)。各村の有力な活動家や若者たちが集まっていた。

「お食事を布施したいと言ってます」とラケシュ。「いや、お腹すいてないんだけど……」と言ってはみるが、「ちょっとだけでも」と懇願の表情。もちろんわかっ てる。施しを受けることは礼節であり僧侶の決まり。うなずくと、ご婦人がせっせと食事の準備。手を洗って、しばらく待つ。

丸いアルミの盆に運ばれてくる。小麦を練って作ったチャパティと、ところどころ煤のようなものが混じったご飯と、ヨーグルトを混ぜた酸味のする黄色いダールと、小さく丸いナスのような実の入った赤いスープ(こんなに夜遅いのに)。私だけスプーンをもらって食べる。

赤いスープが異様に辛い(初めての村ではメチャ辛が多い)。チャパティは胃にもたれる、ダールは酸っぱみになじめないし……この地ではあんまり「味わう」ことなく食べている気がする。

観察しているとインドの人たちは、右手でご飯とダールを上から押して混ぜて、手ですくって、とてもおいしそうに食べる。手は洗ってない。あの酸味のするダールを味噌汁のようにおいしそうにすする。そして食後の手は、盆の上でコップの水で洗ってちゃちゃっと水を弾き飛ばしておしまい。やっぱり生きている日常が違うんだなあ、と思う。

そして車に乗り込んで、ウダサへと向かう。部屋に戻ったのは午後11時半(日本時間午前 3時)。簡単に顔だけ洗って、マンチャ(つるを四方に渡したインド式の簡易ベッド)に横になる。このベッドは、ハンモックみたいに真ん中が沈んでいるので、寝返りが打ちにくい。姿勢に悪いので、一晩寝るとちょっと腰痛になる。

このマンチャは、ブッダが臨終するときもインドにはあった。疲れて横になっていると、このまま死を迎えるときを想像することがある。ブッダは、あるいは慈悲を実践する修行者たちは、その時をどのような思いで迎えてきたのだろうか。

ナグプールの空港に着くとき、ほこりっぽい乾いた色の大地を見ながら、「この地に一体何があって戻るのか?」と毎回不思議に考える。仏教徒たちがいなければ、あるいはラケシュたちとのつながりがなければ、この地に帰ってくる理由は一つもない。観光でめぐりたくなるような美しい景色や、おいしい食べ物や娯楽があるわけではない。「また来よう」と思えるものは、「ひとつ」を除いて何もない、と言ってしまってよい土地である。

今宵、 暗い砂利道を車で走りながら考えたことがある。

村人の家で食事をしているとき、妙な「孤独」の中に自分がいることを見た。というのは、彼らは現地語で言葉を交わし、出された食事をおいしそうに精力的に食べている。ところが私には、その言葉はわからないし、食事がおいしいとも思わない。この地の食事、水、トイレ、寝場所、 音楽、言葉、その他すべてのことが、ことごとく異質。その中にひとり日本人の出家がいる。

この地に生きることの辛さ、大変さというのは、ほとんどの日本人にはわからないだろうと自然に思う。日本からときおり僧侶方が来るが、みなホテルに泊まって数日経ったら帰っていく。日本の暮らしに慣れてしまうと、この地で長く活動することは難しくなる。

私にとってこの地の活動は、「人間」は楽しい。しかしそれ以外はことごとく大変。

だが、私をとりまくインドの人たちにとっては、この世界がごく当たり前の日常。もっとも住み馴れている環境。生まれてずっとこの地で生きているのだから、違和感などもちろんないであろう。

となると、この世界が日常とはなりえないこの身は、インドの人々のなかでぽっかりと浮かぶ小さな島のように感じられてくる。

と同時に、この地で今私が感じている大変さは、遠く日本に住む人たちには想像つかないことでもある。

この身は、日本人でありながら、日本人にはけして分からない場所に在る。

またインドにいながら、インド人にはけして分からない思いで生きている。

つまりこの身は、誰とも共有できない場所に在る――。

その「孤独」を見たとき、思い出したのが、佐々井秀嶺師だった。

あの人は、この孤独を半世紀近くも知っている。日本人にも、インド人にも、けして理解してもらえぬ凄絶な孤独を。

私の場合は逃げ場がある。いつでも日本に帰れるし、インドに来るのも短期間。日本には親しい人たちも今は大勢いる。

しかし師にはそれがなかった。逃げ場のない孤独を、誰とも分かち合えない孤独を、半世紀も抱えて生きてきた人間である。

今は遠い場所におられる方である。しかし、かの師と私とは、ひとつの心を共有しているように思える。この孤独がわかる者は、世界にけして多くはない――。

師の孤独が、なぜか今は「励まし」になっていることに、今宵気づいたのだった。

師の孤独を思いながら、この地での孤独を生きている自分がいる。

そして師からもうひとつ学んだのが、「闘い方」。もし私が師のもとで過ごさなかったら、今のようにインドの人々に働きかけることなどできなかっただろう。大きなことを学んでいたのだ、と今になって思う。

いつかの夜、深夜の国道で車を止めて、助手席の師と後部席の私とでいろいろと話し込んだ時間があった。師の声は、めずらしく穏やかで静かで優しかった。あのとき師は何を心に思っていたのか。いつか若き出家が私のもとを訪れたときに、わかる気がするのだろうか。

スリランカやミャンマーに先に渡らなくてよかったのだ。最初にインドに入って師に巡り逢ったからこそ、この地での孤独を引き受け、闘い方を人々に伝える役割を果たせる。

●佐々井師がこの地に留まり続けた理由はご本人しか分からないが、私がこの地に戻り続ける理由ははっきりしている。

それは、この地に人々の苦しみがあるからである。

この地に立つとき、人々の苦しみを想う。そのとき尋常でない「熱」が湧いてくる。その熱を発すれば、インドの人々は呼応する。「心でつながる」ことが可能になる。

この地には、この身にしか果たせない役割がある。だからこそ戻ってくる。

●今、この地でひとつの可能性が育まれつつある。新しい組織、新しい場所、新しい運動――その可能性を育てているのは、人々の苦と情熱と、ブッダの教えと、ババサブの意志とである。この命が感じ、伝える「悲の心」もまた原動力のはずである。

「悲の心」、つまり人々の悲しみを感じとる心をつきつめると、どこにつながるか。

それは「喜」である。悲をつきつめればじつは喜に変わる。(※これは言語化が難しい)

これは最も奥深い真理の一つだ。二つの真理(≒心の本来の性質)は、究極のところひとつの真理になっている。

この地での過酷な日々の最果てには、きっと「喜」が待っている。

そこに近づくために、今ここにある「悲」をただ感じて生きる熱とするだけでいい。

悲をエネルギーとして生きていく。

こうした生き方もまた、「仏道」と呼ばれる道の一つなのだろう。

ウダサ村を最初に訪れた夜に泊まった村外れの廃屋。中にブッダとアンベドカルの壊れた塑像が祀ってある。どれだけ孤独を引き受けられるか試すつもりで泊まってみた。平気だった(笑)。




インド編 いきなり大事件

11月10日
こんにちは、草薙龍瞬です。
今、インド・ナグプールにいます。

今回もまた「いってきます」をお伝えするヒマもなく旅立ってしまいました。

旅立つ直前に、何人もの方から、行ってらっしゃいとのエールや、新刊の感想などをいただきました。とても励まされました^^。ありがとうございました。

おひとりずつ返信差し上げたかったのですが、時間がなく……。

今回は、季刊誌最新号を刷って全国への発送を終えたのが朝6時半で、それから荷造りして7時半に羽田へと向かいました。前回のインド行きとまったく同じ「完徹(完全徹夜)」となってしまいました(@@)。

直前にここまであたふたするなら、もっと前もって計画的に作業を進めておけばいいじゃないかと思われるかもしれませんが、私は前もって予定をたてるというのがとても苦手です。

なんでかというと、仏教を実践しているから……つまり「今この瞬間を生きている」からですね(そういうことにしてください(笑))。

日本では、今回のように本を出していただいたり、仏教講座や研修をさせてもらったりと、自分なりの仏教の活かし方を伝える活動をしています。

では、インドに入るとどんな活動が待っているか――。

最初の夜に村にたどり着いたとき、ラケシュの家では、大勢の男たちが集まって議論をしていた。バンテジー(お坊さん:私のこと)の意見も聞きたいからとそのまま席に通された。

聞けば、とある村でダリット(不可触民)の3人が殺されて、バラバラに切り刻まれて井戸に捨てられた。

その3人は、400世帯あるその村にわずか1世帯の不可触民カーストの家族だった。殺されたのは父母と19歳の長男。犯人は不明。警察は動かず。わずか3週間前の事件。

「なんとか世界にこの事件を知らせたい」と言う。「どうすればいいか?」と聞いてくる。

まずは各地でデモを挙行し、市役所や警察署の前で抗議をし、リーフレットを配る。過去に起きた同じような事件(2006年のカイランジ事件。このときは父親を除く4人の仏教徒の家族が村人に殺された)での運動家に連絡をとってアドバイスを受ける。これから先は毎年、犠牲者を弔う行事を行う――。さっそく一週間後に市街でデモを挙行すると決定。

ラケシュの家で話し合っているところ。向かい右がラケシュ。赤僧衣が龍瞬。
なんとも痛ましい事件。2006年のカイランジ事件では、市街の車や電車に火をつける全インド規模の大騒動に発展した。外を出歩くのは危険だと佐々井師に言われて、居候先の家で過ごしたことを覚えている。ちょうどインドに渡ってばかりの頃だった。

あれから8年たって、また同じような事件が起きた。インドではカースト、そして宗教間の対立がどこまでも執拗に続く。

こういうとき、いかにして宗教的な対立に発展させず、またカースト意識を逆に刺激するような発言は避けて、「人間としてしてはいけないことは絶対にしてはいけないのだ」ということを伝えるか、が重大な意味を持つ。これは知恵のいる仕事。

これから毎年、過去に起きた同じような事件の犠牲者も含めて、追悼する儀式を行うことだと提案。日本では夏の終わり、そして3月11日にやっていること。この地でもやるべきである。そして静かな、しかし力強いメッセージを送り続けることだ。

来年1月の式典で、さっそく追悼の儀をやることにした。私は僧侶だが、仏教という枠を超えたメッセージを、この地の人たちと共有する役割を果たしたい。

その席にいた3人の男性が、大きな寺院を作りたいと申し出てくれた。1ヘクタールの土地も寄贈してくれるとのこと。

その寺は、24時間動ける「前線基地」のような場所にしたい。こういう事件が起きたときに人々が集まって議論し、手分けして作業して、社会にメッセージを発信していく。そういう寺があっていい。

日本では、仏教講座、法事、本の執筆、教育と、できることを果たしていく。

そしてこの地では、法事やNGO、幼稚園運営、水プロジェクト、そして今回のような事件が起きた時の「闘争」すなわち社会派の活動を繰り広げていきたい。

私自身は正直それほど作業能力が高くない。生活力がない(端的な例でいえば自炊ができない(笑))。でもこの地では、有志たちと手分けして取り組むことで、いろんな事業が着実に進んでいく。

印象的だったのは、「リーフレットを作ろう」という話になったときに、みなが持ち合わせのおカネを、ほんと自然に出し合ったこと。多いひとも少ない人もいる。出さない人も多い。でもみんな自然。出さなくったって、参加するだけで意味があると知っている。労働という形で協力する人もいる。さりげなく自分にできることを通じて、何かを共にする(行う)。

今回さらに印象的だったのは、日本人向けのゲストハウスの工事がかなり進んでいて、幼稚園の校舎も工事が進んでいて、簡易トイレも設置されていたこと(特に女先生たちのためという)。水プロジェクトも、一日も休まず続けられていた。

正直、どれをとっても「赤字」である。青年たちの持ち出し。彼らも私も、おカネを作ることはうまくない。でも善意の動機があるからこうして続けている。びっくりするくらいに、徳が高い人たちがこの地にいる。

日本での活動も、徐々に整っていくのだろうか……。日本でもやはり拠点が必要だ。時機をみて、次のステージに進まねばならない。日本でもできることはたくさんあるのだから。

闘うこと。創造すること。己の役割を果たすこと。

インドに戻ると、いろんなことを学ぶ。



仏教的「夢分析」の方法

こんにちは、草薙龍瞬です。
今日、雨の中をきてくれたひとにはどうもありがとう。おつかれさまでした。

今回は、明恵という鎌倉時代の高僧をモチーフに、「心の闇」という領域をあつかってみました。

夢の中で「親を殺した(親が死んだ夢をみた)」ことがあるひとというのは、珍しくないかもしれない。

どんな人間の心にも、とても小さな不満や感情が、ひょんな弾みで生まれて来るもの。それが眠りの世界で、映像として実を結ぶことがある。

映像はリアルなものだから、それ自体がなにか真実であるかのように思ったり、「お告げ」としてとらえたりしがち。「夢の真意を解釈する」というのもよくやる。「夢占い」みたいなことも。

ほんとに何かを予期したり、誰かが現われたりと、説明のつかない夢というのもたしかにあるみたいなので、一概にはいえないけれど、

親をはじめとする身近な人について、きれいならざる夢を見てしまった時というのは、
たいてい、実生活の中で怒りやすれ違いがあったり、「かんちがい」(思い込み)があったりするもの。

その元にあるのは、微小な「反応」であることがけっこうある。
だからそれを、あんまり真に受けないほうがよいと思う。

「親が包丁もって襲ってくる夢をみた」ひとなら、昔なにかの拍子でこっぴどく叱られたとか、理由があったかなかったか、とにかく親がとても怖いひとに見えた、というような素朴な体験が記憶として残っていたのかもしれない。

子どもの場合、そういう夢が、かなり影響力を持ってしまうのがこわい。

私自身も、幼い頃は、親が先に死んでしまう夢とか、けっこう見ていた気がする。そういう夢をみるたんびに、心は、親から離れること、自立するという発想になっていった気がする。その頃の夢は、真実ではなくて、自分の一方的な思い込みだった。

心理学の世界では、「夢分析」みたいなことをやる。西洋の昔の神話とか、性的な願望とか、かなりいろんな物語・理屈で説明しようとする傾向がある。

ただ、これは仏教心理学の意外な活かし方だと自分でも発見した思いだけれど、夢というのは別に「分析」するほどの意味がないことのほうが多いように思う。

そう私が思うのは、瞑想の修行中に、自分のとんでもなく大昔の記憶のカケラ(それは実際に起きた出来事と、それについて自分が思った・解釈したことの2つでできている)と、その記憶が作り出したとある晩の「夢」を両方、数珠つなぎに「思い出した」体験があるから。

「あ、子どものころは夢をみて、間に受けていたけれど、なんということはない、自分の解釈が作り出した映像にすぎなかったんだ」と、わかってしまった体験による。

ちっちゃな反応と、それが作り出す映像――夢といっても、とどのつまりは「妄想」の一形態にすぎない。あまり真に受けない方がいいこともある。

だから、「親においかけられた夢を見た」という子供がいたら、その親(お母さん・お父さん)は、
「そんなこと言われたら悲しいよ。夢ってデタラメ見ちゃうことってけっこうあるんだよ」「妄想しちゃったんだね(笑)」と軽く流してしまうのが一番。「夢は夢」と割り切ってしまう。「夢は妄想」と理解するようにする。

ただ、その妄想が生まれたきっかけ、理由、つまりは「最初の反応」というのは、もしかしたらあるかもしれない。それが、怒りだったり、かん違い(解釈・判断)だったりすることがある。その部分は「気づく」(理解する)ように心がけたい。それは勘違いだったとどこかではっきり気づいてもらう時を待つこと。そして一貫した愛情を伝えること――。

きっと、あの佐世保の女子高生は、親から無数の理不尽な思いをさせられていたものと推測する。もしかしたら、「父親を実際に殴打した」出来事の前に、何度も何度も、親を夢の中で殺していたのかもしれない。

仮定の話で恐縮だけど、もし心の真相を正しく理解する「お坊さん」が、彼女と話をしたら、真っ先に気づくのは、父親への感情であっただろう。「ずいぶん偏った父親だなぁ」というのは、すぐにわかるもの。

ちなみに、私は、小中学生と話をすることもあるけれど、ほんとおどろくくらいに、親への思いが顔や言葉にそのまま出てる。

「キミはおかあちゃんのこと、うるさいと思ったことない?(そう見えるけど?)」なんて聞いてみると、(そうなんだよ)というように苦笑してみせる子がいる。

佐世保の女子高生だったら、お坊さんは「キミは、お父さんを殺したい(死んでほしい)と思ったことない?」「そういう夢とか見たことない?」とざっくばらんに聞くだろう。

その程度の夢・妄想は、誰でもみて不思議はない。「そうか、そりゃかなり不満が溜まっとるんやな……どんなところが不満なの?」というところを聞いてみることになるかもしれない。

その子が抱えている狂気、心の闇を作り出している、原始の反応を見る。これも仏教の活かし方。

「心の闇」にもまた、「理解」という「光」が届く可能性がある。

仏教を知らないカウンセラーとか、犯罪学者とか心理学者のひとなどが語る「コメント」というのは、どこか観念的で一面的な印象がある。

「命の尊さを教えてきたはずなのに――」なんて言う大人がいるけど、真相を言えば、そういうアプローチでは「心の闇」には届かないこともある。

あくまで、心の闇に届く可能性がある光とは、「理解」ではないか。夢についても同じ。「ありのままを理解する」(受け入れる)。

その理解として、仏教心理学を活かしてみるのはどうだろう。そうすれば、新しい理解の仕方が出て来るような気がする。

人間の心は、どんなにおっかない、危険な妄想でも思い浮かべてしまうもの。子供だって同じ。むしろ大人よりその危険は高いかもしれない。

でも、それはありのままの姿。それは出発点。否定すべきことじゃない。

そこをひっくるめて受容してしまって、どんな可能性をも理解したうえで、

「それは忘れちゃっていい妄想だよ」とか、
「きっとこういう思いが奥にあるんじゃないのかな」と、さらに「理解」を進めていく。

夢の中にあらわれるたいていの「思い」は、理解しちゃうことで霧散していく。あるいは、現実の行動には影響力を持たなくなる。そういうものと知っておきたい。

今日の学びは、夢についても仏教的な理解は通用するということと、

どんなに汚れた、醜い、危険な心の状態であっても、それとは別に清浄な、きれいな、すみきった心を持つこと、そこに還ることは可能だということ。

「さとり」(ここでは清浄な心の意)は、遠いようで、その実かなり近いもので、どんな心の状態であっても、たどりつける可能性はあるという話でした。

次回の日本仏教講座は、11月22日、29日です。親鸞、道元、日蓮に入ります(順番は不定)。
11月4日(あるいは5日)、いよいよ『独学でも東大に行けた超合理的勉強法』全国発売です。