仏教講座スケジュール

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旅の記録2 熱の中へ――寺院起工式


1月22日。午前6時40分発のナグプールゆきの飛行機(インディゴ航空)に乗る。

ナグプールのアンベドカル空港には、ウダサ村のNGOリーダーであるラケシュが整髪して待っていた。来ていたのは仲間のディパックとミリンとスバッシュ。

6人乗りのバンに乗って空港近くのホテルへ。郊外にあり清潔な外観。ホットシャワーも出る。参加者のみなもすこぶる満足した様子。軽い朝食(チャイとトースト)を食べて市内のWESTERN UNIONで両替(ここがレートが一番よい)。

そしてインド仏教徒の聖地ディクシャ・ブーミへ。ここは一九五六年、アンベドカル博士(不可触カースト出身にして、インド共和国憲法を起草し戦後の初代法務大臣を務めた偉人)が、カースト差別からの解放を訴え六〇万人の不可触民とともに仏教に改宗した記念碑的な場所。八百年近く滅びていたインド仏教が奇跡的に復活した場所である。

聖堂の中には、アンベドカル博士の生涯をたどったスチール写真が展示されている。ひと通り見た後、日本からの参加者二人が手を合わせて祈ってくれた。アンベドカル博士の苦難に満ちた道のりと、彼がこの地にもたらした奇跡の偉業とが伝わったのであろうか。ありがたい光景だった。

車は国道を一時間ほど南下して、寺院起工式の会場へ。

会場入り口には、私の顔を入れた大きな横断幕が掲げられていた。私も参加者もびっくりした。

会場のゲートにはたくさんの村人たちが待っていた。現地の慣習に沿って足を洗ってもらい、花輪を首にかけてもらって会場へ。数百人もの近郊の村人たちが集まっていた。

真ん中の花道を歩いて壇上へ。ブッダの像とアンベドカル博士の像が置かれ、壁には日本人全員の名前を掲げた大きな横断幕。この地での活動が少し実りつつあるということかと感じた。

インド初の仏教テレビ「ロード・ブッダTV」の創始者バヤ・ジーが開幕スピーチ。彼の話が面白いらしく、会場の人々がよく笑う。彼の自宅には、何年か前に友人のワスと一緒に訪れたのだが、そのときはステテコ姿でベッドにあぐらをかいてハナくそをほじっていた。ヘンなおじさんだと思ったが、今日は白のインド式スーツをまとって男前である。インド人は見かけでは判断できない。凶悪犯みたいな顔の男が有名な俳優だったり、聖者みたいな顔立ちの人が思いきり欲まみれの悪人だったりする。

その次は私のスピーチ。この一帯はウダサやヘオティなど近郊のいくつかの村のちょうど中間に位置する。そこに地元の有志たちが土地を寄進してくれて、新しい寺院を建てることが決まった。今日この日が、寺院建立へと動き出す最初の日。それを受けてのスピーチである。

最初に行ったのは「追悼の儀」――二つの事件で犠牲になった人たちの苦しみ・悲しみを会場の人々とともに想う(悲=カルナーを送る儀式)。ひとつは昨年十月の事件。とある村の4名の不可触民(ダリットと呼ぶ)が村びとに殺され、体を切り刻まれて井戸に捨てられたという凄惨な事件。もうひとつは、8年前に起きたカイランジ事件。このときは村でたった一軒の仏教徒の五人家族のうち、父親が遠出している間に母親と長男として娘2人が村びとに殺害された。このときは抗議する群衆が街中で車や店に火をつけたり、列車を爆破したりするなど、全インド規模の大暴動になった。ナグプール市内にも戒厳令が敷かれて、その頃ちょうど佐々井師のもとで修行生活を始めた私は、居候先のパワン氏宅で安静していた。

犠牲者一人一人の名を読み上げ、私は手を合わせて、彼らの苦と悲しみに心を向ける。会場の人々もみな胸に手を当てて黙とうする。その人々に私は語りかける――8年前、みなさんに初めて出会った頃、カイランジ事件という痛ましい出来事がこの地で起きた。そして昨年十月にもまた悲惨な事件が発生した。同じような過ちがまた起きた。インドではこのような愚かな出来事がずっと繰り返されている。一体いつまで繰り返すのか。やってはいけないことは絶対にやってはいけない。このような事件は二度と起きてはならない。なぜわれわれは止められないのか。

インドにはカースト差別や貧困など根深い問題がたくさん転がっている。こうした現実を変えた「奇跡」がインドにはじつは二つある。ひとつはブッダの出現。二五〇〇年前に彼は世界で初めて人間の平等を説いた。生きものを苦しませる行いはけしてしてはいけないということを明確に説いた。そして二つめの奇跡が、アンベードカル博士。みなさんもご存じのとおり、彼は憲法を書き上げ、戦後インドの政治体制を作り、最後はみなさんを仏教へと導いて生涯を閉じた。もし彼が出現しなければ、インドではもっと悲惨な差別が今もまかり通っていたはずだ。

われわれ仏教徒は、インドが世界に誇れる二つの奇跡をさずかっている。ブッダとアンベードカル博士。この二人の天才が興した奇跡、社会変革への熱い挑戦を、われわれは受け継いでいるのだ。

だがこの二つの奇跡のあと、事態は好転しているだろうか。カイランジ事件が起き、昨年の事件が起きた。インドでは差別も貧困もいまだ未解決のままだ。次の奇跡はいつ来るのかいつまで待てばいいのか。三つめの奇跡はいったいいつ起きるのか?

私はみなさんに伝えたい――その三つめの奇跡こそがこの新しい寺院である。この寺院を、インドを変える三つめの奇跡にしようではないか。

この寺院は仏教徒の寺(ビハール)だ。しかし宗教的に閉ざされた場所にするつもりはない。この場所は、インド社会変革への前線基地だ。どんな宗教や思想を持つ人でも来ることができ、集い、寝泊まりできる。そしてこのインド社会でどんな問題が起きているか、どうすれば解決できるか、みなが智慧を寄せ合って議論できる、そういう場所にしたい。この場所から新しいアクションを起こす。そうしてこのインド社会を変えていく。

われわれは、ブッダとババサブ(アンベドカル博士)が起こした奇跡に続いて、この場所から三つめの奇跡を起こす。今から五〇年先、百年先、五百年先に、人々が「あの寺が三つめの奇跡だった」と振り返ってくれるような場所にしようではないか――。

「ジャイビーム」(ババサブ万歳という現地仏教徒の挨拶の言葉)を三唱してしめくくる。

日本からの女性参加者が言葉を求められて、「私からはひとことだけ――サッベー・サッター・バワントゥ・スキタッター(生きとし生けるものがみな幸せでありますように)」と会場のみなに伝える。今回目の当たりにした善き光景の一つであった。

そのあとは人々が礼拝しにくる。僧侶の前に額[ぬか]づいて三拝するのである。その一人一人に慈しみの言葉を向ける。彼らへの敬意と慈愛とを一心に念じるのである。彼らにとっては敬虔なひとときであり、私にとっては慈悲に心尽くす瞬間である。純粋な心の交流がある時間。次から次へとやってくる。汗に湿った5ルピーを託してくる人。現地のサフランの花を供えてくる人。二百人弱が礼拝に来た様子。

「お客様は神様」というのがインド人の風習。だから今回の参加者に礼拝する村びともいた。こういうときは謙虚に合掌して「ありがとうございます。御幸せでありますように」と心一杯に念じて差し上げることである。

人々と堅く握手しながらゲート外の車へと向かう。会場敷地内に露店が並んでいたのには笑った。日本の縁日と同じようなお祭り行事になっていたらしい。

寺院起工式にて 「第三の奇跡」につながりますように

インド・ダンマツアー2015旅の記録1 旅の始まり

インド・ダンマツアー2015旅の記録1
旅の始まり
1月21日(水)

 飛行機はヒマラヤ山脈の南を、ちょうどガンジス河の真上を飛んでいた。白銀きらめく峰々が窓の遠くに雄大に列をなして見える。ここに来る途中、中国南部からミャンマー北部にわたるまで峻険な山脈を越えてきた。ルートはまるで違うものの、あの山々を7世紀の玄奘さながらに馬と徒歩で旅したらどれほど険しい旅になるかと想像していた。

 ニューデリーのインディラ・ガンディー国際空港に到着した。さあここからがインドである。両替して外に出ると、顔立ちも肌色も濃く深い異国の人間がわんさと待ち構えていた。数人の男たちが近づいてきた。ホテル名を確認しないまま我々のバッグを取って歩き始める。ホテルの送迎だと思ってついて行ったら別のホテルに連れて行かれたというのは、よくある話。キャブに乗る前に名刺をもらい、予約先のスタッフだとなんとか確認できた。だがそのときには今回のツアー参加者三名が後ろの車に連れていかれていた。いきなり離れ離れである。「大丈夫かなぁ?」と思いつつ車に乗り込む。

 オレンジの外灯の中、車とタクシーとオートリクシャ―とバイクとが、信号のほとんどない道をホーンを鳴らし互いを牽制しながらわれ先にと激しく走る。しょっぱなから喧騒と無秩序の異世界に突入である。後ろの3人は無事ついてきているのだろうか。インドの道路は左側通行(イギリスに倣った点は日本と同じ)だが、やにわ道路の右端を思いっきり「逆走」し始めた。前方から車が突っ込んでくる。そのレーンを真っ向から突き進んで行く。そのまま妖しい繁華街を思わせるけばけばしい赤やピンクのネオンが乱舞する一角へ突入。ここはどこだと思ったが、ネオンはみなホテルの看板だった。路地の奥に今日宿泊するホテルの看板を発見。

 もう一台に分乗した三名も無事合流。地下のレストランに集合してチャイを飲んだ。ツアーの日程を簡単に確認して就寝。と思ったら急に、ビートの利いた音楽が間近で鳴り響き始めた。ディスコも経営しているのかと思うくらいの大音量。外を見てみると、表通りにスピーカーを載せた車と若者が二名。ホテルマネジャーに伝えて音を止めさせる。

部屋には一応ACはあったが暖房機能はなし。インドで「ACつきの部屋」を予約してもあまり意味はないということだろうか。蛇口をひねっても温水が出ないのでそのまま寝ることにした。

ともあれこうしてインドでの濃く烈しい旅が始まったのであった。