仏教講座スケジュール

●古い仏教のイメージから自由になりましょう。心の苦悩・現実の課題を越えてゆくことが、最も大事なこと。思い込みを捨てた時に、ブッダの教えの真髄がみえてきます。
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こんにちは、草薙龍瞬です。

光ほころぶ春――がやってきたようです。

今日は外に出ると、神楽坂はひとでいっぱい。外堀通りの桜もいっきに開いてもう3、4分咲き。靖国通りの桜並木もいっせいに白く輝いていました。

今は次の本の原稿書きで忙しくやっています。テーマは「反応しないでいい」といったものになりそう。

「反応」というのは、心動かすこと。とくに、欲や怒りや妄想や慢などの不幸な心の状態を作ってしまうこと。

外の見るもの、聞くものに反応して、こういう不健康な心の状態に陥らないようにする。そういう「発想」(心がけ)を持っておこうという話。

ひとは、身だしなみにはかなり気を使っている。今日の服はヘンじゃないかとか、体臭はどうかとか。

それと同じように「心の状態を見る」という習慣も身につけようという話。

昨日の座禅会で、「反応しない境地に達したとして、その先には何があるのですか?」という質問があった。

「それはその人次第。自由自在」とわたしは答えた。

古い仏教の世界には、「悟り・涅槃に到達すれば、いっさいの苦しみは解消される」みたいな神話があるけど、それは正確じゃない。

「いっさい反応が止まった精神状態」はたしかにある。それは言える。でもそれは、山のてっぺんに一度上ることができた、というだけで、その状態がずっと続くわけじゃない。やっぱり、それぞれの場所での生活・人生が待っている。それを生きるには「反応」するしかない。

反応は避けられないし、避ける必要もないと思う。そして、その反応には個性や価値観が出る。結局戻ってくるのは、この反応=自分だったりする。

ならば、仏教の修行や勉強はしなくていいのかといえば、それは明らかに違う。

結局、人間は「反応」を避けては通れない以上、その「反応の仕方」を学ぶのである。無駄な反応をなるべく防いで、またもし反応が湧いてしまったらそれをなるべく早くリセットする能力を身につけるのである。

そういう、反応を消す、あやつる、育てることが上手になったときに、反応の集積である「人生」そのものが好転していく。それは真実。

仏教というのは、心の状態を見る、反応を見る、反応をコントロールできるようになるための基本ツールだと思ってはいかがだろう。

そのツールをちゃんと使いこなせることを目標に、日々学び、実践していく道を生きる。それは正しい生き方に違いない。

昨日は、「反応しない心の先には、またこの生活がある」という話をしたけど、ひとつだけ言い忘れたようが気がする。

それは、反応を仮に乗り越えられるようになったとして(つまり、苦しまなくなったとして)、その先には、「ではこの命をどう活かすか」という大きな問いが待っているということ。

自分自身を乗り越えることは、最終ゴールじゃない。やっぱり、この命をどう使うか、だれに何を残すか、という貢献・働きがテーマになってくる。

そういう部分をも考えて生きられるようになったら、そのときひとは「成熟」を見るのではないだろうか。きっと「納得」も深まるに違いない。

ともあれ、よい季節がめぐってきました。よき反応^^を楽しみましょう。


最近あった”よかったこと”

3月6日(金)
こんにちは、草薙龍瞬です。

教室、メール通信ともごぶさたしている感がありますが、お元気のことと思います。

3月の講座は、
3月15、29日(日)午後2時から 座禅会 (神楽坂・赤城生涯学習館)
3月19日(木)午後2時から    道元のことば・思想 (巣鴨地域文化創造館)

その後3月30日から、私はふたたびインドに行ってきます(×▽×)。

正直かなり体力を使います。そのうえ、インドの現実について自分は何をすればいい?という自問が毎回どっさり増えるので、「消化」するのに日数を要するのです。

ただ、将来的にはもっとインドでの活動量を増やしていかないといけないので(理想は日本とインドを半分半分)、これくらいは慣れていかねばなりません。

特 に、仏教が滅亡して以降、カースト差別と貧困にあえぐビハール州に仏教のお寺をつくって、現地で教育を施していくというのは、歴史的にもかなり大事な仕事。今回は台湾の尼僧さんたちをご案内するのですが、こうしていろんな人たちを現地にお運びして、ちょっとずつ変化を作り出していくというのはとても大切なこと。頑張らねばなりません。

最近あった、善かったこと。

○紅梅が早くも咲いていたこと。

○とある教室で、ウツでダウンしちゃっていた人が、予想より早く復活できたこと(以前は半年くらいダウンしていたのが、今回はかなり早く……ちょっとずつ仏教・道心が育ってきているのかもしれない)。

○4冊目の執筆が始まった(始まっちゃった)こと。締め切りは4月末で、刊行は7月(はて十二万字もあとひと月半で本当に書けるのか? 尊敬する手塚治虫を見習ってチャレンジしてみたいと思います)。

7月に無事出版の運びとなったら、その本をもって、「全国行脚」をスタートすることになるでしょう。みなさん、準備のほどよろしくお願いします。

○季刊誌が届いたらしく、おたよりをちらほらいただけるようになったこと。

毎回お待たせしてしまって申しわけないのですが……しかし毎回、「力作」でしょう?(笑)。魂魄と美と善を託して、全文オリジナルで書き下ろしているのです。インドツアーの激白は次号にも続きます。お楽しみに。

○ 季刊誌新作にちなんで、82歳のご婦人からさっそくおたよりが。電話でお話したのですが、「毎晩、毎晩、ああ有り難い、有り難いと思って眠りについているんです。(季刊誌の文章)やっぱりご僧侶様の文章が素晴らしいです。まさかこの年になってこんな本当の仏法に巡り合えるなんて、夢にも思いませんでした。 人生で今が最高に幸せです」と、とてもハリのある声でおっしゃっていました。(脚色してません(笑))。私は毎回、「心に録音する」つもりで、彼女のお声を聞いています^^。

世の中、何が一番素晴らしいかといえば、善き心で交流できる関わりをさずかれることがひとつではないでしょうか。善意の関わり。善意のひととき。

歩き続ければ、道はできてくる。
道とは、ひとつは、「関わり」のことを意味しているのでしょう。

今回、善き関わりをたくさんさずかっていることを改めて認識いたした次第です。ありがたいかぎりです。

そろそろ春でございます。

見送るとき

2月19日
とある方が、急逝された。

私が日本に戻ってきて四年半になる。これまで、教室で多くの方々と知り合ってきた。

これは奇跡に近いと思うが、その間、ひとりとしてその人の人生の終わりを見ることのないまま、ここまで来ていた。

だが――ついに、その日がきた。

今回見送った男性は、教室で出会い、言葉も交わし、その人の存在感が私の記憶のなかにくっきりと残るおひとりだった。娘さんと一緒に、教室に来ていた。

彼は健康というものに相当なこだわりを持っていた。田舎で野菜・果物を無農薬で育て、笑いヨガをこなし、退職後に始めた水泳は、マスターズのバタフライ部門で金メダルをとるくらいの、とにかく前向きでタフな八〇代だった。

昨年暮れの教室で、病気で通うのが辛くなってきたとおっしゃって、通うことは中断した。だがそれ以後も、自分で育てたはっさくや蜜柑、紫蘇とはちみつで作ったドリンクなどを、娘さん経由で届けてくれていた。

二日前、彼が急きょ入院したと娘さんから連絡があった。ここ一、二日が山だろうと医者は言っていたという。

私も、連絡が届き次第、すぐにでも病院に行くつもりだった。

だが、時機を見ている時間もなく、彼は旅立っていった。看取る時間もほとんどなかった、あっという間の命の閉じ方だった。

その彼と再会したのは、都内某所の斎場(火葬場)だった。

白い棺の中に、彼の姿があった。その額に手のひらを載せた。冷たい。だが、その肌はとてもやわらかく、表情は、生前のおだやかさ、やわらかい笑みをそのまま湛えていた。

読経をし、ご遺族が焼香を捧げ、それぞれが手向けの言葉を念じた。

そして、お茶をご一緒しながら待機した。今は火力も向上しているとかで、40分ほどでお骨になるのだという。

出てきたお骨は、とても白かった。先ほどまでは生前の姿のままだったのに、今は白い舎利として小さくたたずんでいるばかりである。ひとが目の当たりにできる「無常」の最たる光景なのかもしれない。

骨壺にご遺骨を納めて、布に包んで、儀式は終了した。

斎場には、他のご遺族や僧侶方がけっこういた。禅宗のお坊さんや、髪を生やした浄土真宗のお坊さんなど。こういう場所に僧侶たちのたたずまいがあると、やはりほっとする。

若いご僧侶と目があった。私のほうをずっと見ていた。日本とは違う出で立ちが珍しかったのかもしれない。

ご遺族の自宅までタクシーをご一緒する。昨日までの雪交じりの冷たい雨はすっかり上がって、春を思わせる澄んだ陽光に街は輝いていた。

私は車窓の外を見つめながら、不思議な心境を感じていた。

――すべてが色、形を持っていながら、色も形も、じつはない。今目の前に流れている光景はみな、因縁によって成り立っている無色の現象である。いや、成り立っているというより、目の前にあるものは、すべて因縁そのものである。つながりが世界をつくっている。つながりが世界そのものである。

そして、私は今目にしているすべてのものに、今日見送った彼の姿を見ているのだった。

彼は、このつながりの中で、ひとつの時代、場所に生まれ落ちて、幼子、少年、青年と生きて、夫となり、父となり、いろんな出会いや思いを重ねに重ねて、八十二年という歳月を生きた。そして、肉体という因縁を解かれて、この目の前に広がる大きな因縁の世界に戻っていった。

ひとの体も、思いも、みなつながりによって支えられて成り立つ、ひとつの現象・すがたである。

病気、寿命、事故、災難――生命を支えるひとつの因縁が失われる機縁は、さまざまであろう。だが、ひとつの因縁としての人生が、そのままでは続けられなくなったとき、そのひとつの因縁は解かれて、次の位相(姿)へと移りゆくのである。

彼の肉体は、きれいにちがう姿へと移っていった。今残っているのは、白い遺骨だけである。そしてその身の内側を流れていたものは、きれいに水となって、今私たちが目にしている空の青や雲となって、果てしないこの世界のどこかを巡っている。

肉体も思いもまた無常である――因縁が解かれれば、風へと還る。

そして、彼という姿を作っていた生命のエネルギーは、ふたたび、この世界に満ち満ちている生命そのものへと帰ってゆくのであろう。すでに先立っていった無数の命も、今この地上に生きている命も、これから生まれようとしている新しい命も――すべての生命が充満しているひとつの世界に。

ひとは、ひとつの世界へと溶けて、帰っていく。溶けて、ひとつになる。

タクシーは昼前のしずかな陽光のなかを静かに走っていく。不思議にも、執着が解かれた眼には、映るものみなが「意味」を持たなくなる。ビルも、信号も、舗道を歩くひとも、車も、街を包む陽の光も、透明な風も、みな意味を解かれて、ただあえて言葉にするなら、因縁(つながり)とでも呼ぶしかないような、無色の、「ひとつ」のものとして見えはじめる。

そのときには、見ている「自分」すらもない。自分はどこまでも「無」であり、見えている世界そのものと「ひとつ」である。そして、その「ひとつ」の世界のどこをみても、旅立っていった「彼」という存在を見るのである。

彼はこの世界にどこにも生きている。彼はいま世界そのものである。どこをみても、どこまでいっても、彼はこの世界とともに、今日見送った遺族の人たちとともにある。どこにも彼とこの世界を隔てる壁はみえない。もはや彼とも世界とも人間たちとも区別のつかない「ひとつ」が、ただどこまでも広がっている。

そういう思いを感じていた。

今朝、彼の体に触れたとき、彼の心はきれいに世界へと溶け込んでいって、きれいな空気だけが残っていることを感じた。白い遺骨の周りにも、浄化された気の広がりを感じた。

斎場には俗の空気が少ない。そのせいか清々しい奇妙に明るい雰囲気であった。ただその中でも、棺に眠る彼の顔、そして白く変わった姿は、ひときわ清浄な気に包まれているのだった。

今朝の空はあまりに青くて、広々としていた。そして集ったご遺族の間にも、血のつながりと長い歳月を経た間柄だからこそ持ちうる、信頼といおうか善き空気が流れているのを感じた。この日、彼がめぐり合わせてくれた、不思議な幸福を感じていた。

どこまでも、澄明で、清浄な時間がそこにあった。そして「ひとつ」があった。

不思議な日だったといってよい。

彼は、帰ったのである。