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【Q&A】どうすれば「出家」できますか? その1

※3月中旬から日本での活動を再開します。

こんにちは、草薙龍瞬です。せめてこの週末は、感覚を意識して〝雑念落とし〟に挑戦しましょう(笑)。

さて今回のテーマは、
「出家したい」と思ったときの、現実的な選択肢(ルート)につい
てです。


Q あるひといわく――

「私は、親としての責任を果たしてから出家したいと思ってきまし
た。でも色々調べても、簡単にはなれません。まずは出家させてもらい、尊敬できるお坊さんのもと教えを聞き、仏陀の本を読み、選んだお寺の草とりや掃除などできることをして過す、これは出家といわないのでしょうか?

それが、私の二十年思い続けた生活。定年後に趣味の生活すること
は経済的に可能なのに、仏陀の教えだけを学ぶ生活が、かなえられない。出家させてくれる場所やお坊さまがいません」。

Q またあるひといわく――

「正直、私としては少しでも早く得度出家したいと思っています。
これは仏道に真剣に向き合い、実践していくにあたって、私には必要だと思うからです。

5年ほど前に考えたときは、日本の仏教宗派での出家に違和感(就
職という感が否めないなど)を感じて考え直してしまいました。先生に出会い、本来の仏道を知り、出家という道がはっきり自身の道として見ることが出来ました。

ですが私はまだ、働いてお金を頂くという生活は続けなければなり
ません。

それを踏まえて考えたのですが、労働は当分これまで通り行い、そ
れ以外の時を仏道に集中し、また人のお役に立てることに使うということです。この考えは可能でしょうか」。

――――――――
A

実は、けっこうな数の方々から「出家したい」というおたよりをい
ただいてきました。年末年始のお便りにもありましたので、今お答えできるところをまとめておきましょう。

※以下はあくまで、草薙龍瞬=興道の里に見えている「出家の方法
」です。

1<日本で出家するコース>

もし日本の宗派の僧籍を得たいなら、どこかの仏教カレッジに入
って僧侶と仏縁もってその道に入るとか、仏教系の大学に入ってから僧堂で修行して住職資格を手に入れるとか、正規の(?)ルートがあります。順調にいっても、五年くらいかかるみたいです。

もちろん、このルートは、既成の日本仏教の枠組に完全に沿ったも
のです。どこぞのお墨付きは得られるかもしれませんが、それが「自身の道」として納得しうるかは、わかりません。

また大きなお寺に配属されれば、娑婆の世界以上の人間関
係が待っている様子です(笑)。
小さな末寺に単身配属されれば、一日中作務が待っています。

収入源は、檀家さん頼み……でも今はそれだけでは生計むずかしく
、副業・兼業している人が多いといいます。

どの宗派にも、確立された規矩(きく:作法)があるし、学ばねばならぬ
ものがあります。ただそれは、

・「寺(親)の後を継ぐために必要」だから

・「坊さんの生活/仏教とは、そういうものだ」と割りきれている
(ある意味、達観している?)

から続けていける(耐えられる)、という面がある様子です。

「自身の救いのため」というような、真面目な求道心を持った人は
、はたしてどのルート・場所なら、納得できるのか――というところは、私には、正直今も分かりません(だからインドまで行ったわけだし、今は独立派(笑))。


2<海外で出家するコース>

○ミャンマーなどで一時出家というのは、比較的簡単です。最初に
どこか瞑想道場に入って、地元の比丘・尼さんと知り合って相談してみれば、道は開ける可能性が高いと思います。

タイやスリランカでも可能ではあります――ただ少なくとも英語が
話せる必要があり、最低一年間は見習いとして生活して、その後、しかるべき人たちに受け容れてもらえれば、手ほどきを受けられるのではないでしょうか。ミャンマーよりは敷居が高い印象があります。


女性の出家は、ミャンマーが一番やりやすい。ただテーラワーダで
は、正式な「比丘尼」は廃止されています。

○いずれにせよ、現地の伝統・しきたりと教義にきっちりはまらな
ければいけないし、国とサンガの管理下に〝生涯〟きっちりおかれます。生き方や思想の自由はもちろんのこと、活動の自由もありません。また現地で説かれている仏教は、輪廻信仰とか、お守り代わりの読経とか、現代の日本人からすると相当に古く「非合理」に映るかとも思います。

生活も楽ではありません。東南アジアで比較的めぐまれているのは
、タイでしょうが、それでも十年続く出家は、十人にひとりもいないと言われています(要は、退屈・苦痛なのです)。

瞑想だけをやっていく覚悟なら、彼の地でもやっていけるかもしれ
ません。ただ、真剣に瞑想三昧、というのは、高い確率で「飽き」がきます。そもそも何年も(だらだらと)やるべきものではありません。

(自己満足レベルの瞑想ならそれでもよいでしょうが、涅槃とか解脱とかいう特殊な体験をしたければ短期決戦です。その意味で、「長年出家」というのは、厳密に言うと合理性がないのかもしれません)。

真摯な求道心を持つ人々と、形式・伝統が日常と化してしまった人々――
職業僧侶も含む――との間には、けっこう温度差があるのです。これは日本も海外も同じです。体温(求道心)が本当に高い人というのは、海外に出たところで多くありません

その点で、いざ「仏教」の世界に入ることになれば、モチベーショ
ンの維持が難しくなるだろうことは、今から見ておくべきかもしれません。(うーん、仏教ってそんな世界なのか……と改めて思ふ(笑))

あるいは、台湾に行ってみるか――おそらく世界で唯一、女性の出家が認められている国です。

日本の仏教とベースは共通しているので、違和感はミャンマーより少ないかもしれない。ひとつの道になるかも? 私自身体験していないので、あくまで見聞の範囲ですが。少なくとも、よい体験にはなると思います。


◎総じて――「仏教」の世界を、どこかで見聞深めて、体験してみるというのは、自身の納得という点でかなり大事です。その世界で一生生きていくかというのは、別の問題。

私も納得できたから、その後、日本で活動しています。

だから、もし「出家したい」という気持ちが強いのなら、思いきっ
て海外に出てみることも選択肢かもしれません。
(現実的な話ですが、経済的には日本より安くすみます)。

あ、台湾は、60歳をすぎると門戸は閉まります――なんだか、ど
の場所も形式的だなあ……(笑)。


次回は、私=草薙龍瞬がたずさわることのできるオリジナル出家コースについて





【出家、インドをゆく】綿の花

1月22日(日)
ウダサ村から車で20分ほど、サレーという区域で一年ぶりの記念祭。ここは私たちの新しい寺が建ちつつある場所である。

まず午前中に、お寺の落慶法要を務める(とは言え、日本人が想像するお寺の法要とはかなり違う(笑))。

行ってみると、小さな白いお堂が建っている。去年は何もなかったが、みなでお金を出し合って、一年以内にここまで作り上げたそうである。大きな仏像も置いてある(寄贈した男性が誇らしげだった(笑))。

現地の習慣で足を洗っていただきます

白くてきれいな新しい寺で法要
どんどん地元の行事に活用してほしいと伝える。一週間に一度くらい、ここでみんなでお茶会をするのはどうだろう。勉強会とか家事フリーのお昼寝会(笑)とか。どんな行事が可能かみなで話し合ってみれば、という話。そして昼食。

インドでは、食事も現場で作ってしまう。運び込んだレンガを積み上げて即席のかまどを作り、そこに大きな鉄鍋を置いて、ご飯を炊いて、ダール(豆を摺って作った汁物で、日本でいえばカレー)を作る。それを大きな葉っぱに盛って、手匙で食べる。

私の皿にはお匙つけてくれてます

●午後からは、記念祭。何の記念かというと、この場所で始まった、仏教にもとづく社会改善運動を祝うものである。


仏教旗を掲げるところからスタート。青空がきれいでした。
事の発端は、私とラケシュら地元の青年たちで、2009年にNGO (GENUINE DHAMMA INTERNATIONAL)を立ち上げたこと。

そのうち、地元で人望を集めるラケシュのところに、お寺を建てるための敷地を提供したいと言って来た男性3人が現われた。

寺の代表は私(草薙龍瞬)で、寺と施設の建立資金は、地元の人たちが出し合う。形だけの寺では意味がないので、インド社会をよき方向に変えていく活動の前線基地にしようと話をしていた。

最初に行ったときは、何もない草原だったが、今回は、白いお寺が建っていた(日本でいえば集会所的な作り)。

みんな、農民でけして裕福ではないのだが、懐を分け合って着実に形を作りつつある。このあたりの篤実さには、毎回感銘を受ける。

毎年1月の第4日曜が記念祭という形で定着しつつある。大きなバナー(横断幕)を掲げて、演壇を作って、そこで数人のゲストスピーカーがスピーチをする。

●私も話(仏教の話なのだから、ダンマ・スピーチ、つまり法話ということになる。だがなぜ日本語に置き換えるといかめしくなってしまうのだろうか(笑))。


今回は、ニュートラルの話をする。感情には三種類あって、快か不快かニュートラルか。人間はニュートラルを苦痛に感じて、快か不快かの往復を始めてしまう(ここで実際に反復横跳びをして見せてウケをとる(笑))。

ブッダもババサブも過去の偉人たちはみんなニュートラルだったという話。

しかしその快というのが、ただの娯楽や怠惰や飲酒(現地ではアルコール中毒者がかなり多い)というのでは、あとに何も残らない。

快に流れることに慣れてしまうと、心は快か不快かの刺激だけを追いかけるようになってしまって、どんどん疲弊し混乱していく。

そもそもそうした心は、刺激に反応しているだけで「快」でもなかったりする(むしろ苦痛な)のだが、反応に慣れてしまうと、そのことがわからなくなる。

ほんとは、ニュートラルが心の基本になればいい。快か不快かの感情の「真ん中」に立つこと。心を動かさないことに慣れること。それが「喜び」だと思えること。

たとえあなたの夫(会場の6割くらいは女性だった)が飲んだくれのアホな男でも(笑)、反応するだけならこちらも不快になってしまう。これは仏教でいえば「負け」を意味する。

あなたもブッダやババサブ(アンベドカル博士)のようにニュートラルでい続けよう――という話。

ニュートラルになる方法として、瞑想の仕方をガイダンス。音楽担当のプロのDJ(とはいえ丸顔のおじさんだが)の男性に壇上に上がってもらって、瞑想をやってもらう。

DJにも上がってもらって瞑想の実演。体張ってます(笑)。
今後は、この場所に大きめの講堂を作って、瞑想や仏教の教室を開く予定(寄付を呼びかけると早速少年がお金もって壇上へ)。

まずは、現地で増えているというアルコール依存症の男たちに1、2週間の療養キャンプを開きたいという提案があった。

4月から6月の間がベストという(来年以降、日程調整をせねばなるまい。体が3つくらいあれば、とこういう時に限って思う(笑))。

ウダサと、ナグプールと、ナーランダに、それぞれ小さなゲストハウスを作ろうという話も。そしたら、日本人など外国人が各地で長期滞在できる。どの場所にも拠点が必要だ。それが整えば、実のある活動を起こしやすくなる。

外から会場を見るとこんな感じ。

●私がインドにきてから十年が経ったが、ここまで私が貢献できた時間はあまりに少なかった。まずは日本での活動を軌道に乗せれば、インドに長期滞在することも可能になるだろうと思って頑張ってきた。

その甲斐あって、日本を2カ月離れても差し支えの少ない状況になってきた。もう少しであろう。(この点で、どこでも仕事ができる文筆業をいっそう軌道に乗せることが意味を持つ。今年は物書きとしてもプロになりきれるように精進せねばならぬ。)

一年ぶりのインドは、やはり体力を要する。快適な日本での暮らしに馴染みすぎると、こちらでの生活が重くなる。

出家はどこまでも無一文、無一物の心がまえでいなければならぬ。喩えるに、このインドの地でホームレスになっても路上のゴミ掃除から黙々と始められるような、それくらいの道心でいなければならぬ。

会場の外は綿花畑。今年は豊作だそう。それでも、インドでは毎年農家の自殺者は数万人を越える(地代を払えないため)。

サラちゃんラストショット

1月23日
こんにちは、草薙龍瞬です。

ただ今、インドに滞在中です。日本は酷寒でしょうが、こちらはカンカン照りで30度を超えています。寒さをもはや思い出せません……(笑)。


猫のサラちゃんのことが、インド行きにともなう最大の心配でしたが、心優しいご夫妻が預かって下さいました。この件についても、相談に乗って下さった方々に感謝御礼申し上げます。

ここから先は、『出家、インドをゆく』(現地活動報告)をお届けして参ります。

ひきつづきご同伴いただければ幸いです。

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(その前に、サラちゃんのラストショット)

膝の上のサラちゃん

(仕事中に膝の上に乗ってきます。足の間から顔を覗かせて、ニャァ(乗せてよ)とおねだりすることも、自分から飛び乗ってくることもあります(笑))


一緒にお仕事中です
でもすぐ飽きます
 
ときどきアピールしてきます

極楽気分らしいです
なんなのでしょう、この目は(笑)
う~ん、降ろしがたい……












2017年/仏暦2560年 よき一年となりますように


PHP月刊くらしラク~るで4月号(3月25日発売)から連載スタート(イラストも文章も)。お役に立てますように。

1月5日
こんにちは、草薙龍瞬です!

本年もよろしくお願いいたします。

真心こめて言葉をつむいでまいります。

今年の最初に思うこと……

もうすでに、平常モードに戻った方も多いと思います。

考えてみると、年が明けてはや5日、すでにいらない反応・雑念を、抱えてしまっているかも?(笑)

落として、落として、という心がけでしょうか。

目の前の作業、目の前の景色が、そのまま、雑念のフィルターなしに、クリアに見えるように。

そのために感覚を意識しつつ、緻密に、ていねいに、という心がけで。わたしも頑張ります。

道元は「米は洗うものではない、磨くものである。米を磨くことで、心を磨くのである」と言っています(かっこいー)。

その真意、「感覚を意識して作業を」という心がけを思い出せば、わかる気がしませんか?

○ともあれ、よき一年にいたしましょう――「よき」とは、心にムダな思いがなく、すっきりと良質な精神状態の、ということです。

まずは、今日一日を精進!