仏教講座スケジュール

●古い仏教のイメージから自由になりましょう。心の苦悩・現実の課題を越えてゆくことが、最も大事なこと。思い込みを捨てた時に、ブッダの教えの真髄がみえてきます。
●全国行脚、まもなくスタート! 講座、個人相談、法事など、ご希望者はご連絡下さい(クリック)
●仏教講座のスケジュールはこちらをクリック。 
●メール通信、配信中。
①お名前、②都道府県、③近況(本の感想・知ったきっかけ等も可)をひとこと 書いて koudounosato@gmail.com まで。※フリーメール着信拒否の設定になっていないか、ご確認ください。
●廃寺・空き寺・日本家屋を募集中! 生き方と教育と仏教をひとつの場所で――ご提供くださる方、ぜひご連絡ください。

【出家、インドをゆく】子供たちもすくすく

1月27・28日

 ウダサ村の幼稚園&小学校(G.D.Scholor Convent Udasa)の8回めの創立記念祭に出席。

 最初は3歳半からの幼稚園児だけだった。その子らが小学校に上がった。もうすぐ中学校に進む。

 子供たちは毎年、入学してくる。だから、年を追って教室が足りなくなる。現在179名。今後、2階=6教室を増やす予定。

 今回の日本からの応援は、その増設に使う(みなさん、ご声援をお願いします(笑))。

 ちなみに、40人が乗れる中古バスを、もうすぐ調達する予定。小さなバンだと、2往復せねばならず、遅刻を避けられないし、なにより今の状態では、子供たちがかわいそう(↓彼らにその自覚はないのだが(笑))。

【写真】これが現状です(笑)。


まだ乗ります(笑)
このあと運転手のお兄さんも乗ります。
後ろから見るとこんな感じです……。50度に近づく夏はどうするの?
でも元気です(笑)

 記念祭では、子どもたちに3つのことを伝えた。ひとつは、他の子どもたちに優しくすること、いじめないこと。二つは、先生を助けること。三つめは、学校をきれいに扱うこと(まだゴミ箱がなかったので、大きなダストボックスを設置するようにスタッフに伝える)。

 これから、この学校をもっと美しい場所に作っていく。カラフルなペンキを一緒に塗ろう!(会場拍手)。

 日本の人たちも応援している。私も毎年来る。ご両親は、もし悩みやリクエストがあったら、私のところに直接くるように。

(※ちなみに一番多いのが「子供が勉強しない」という相談。どこも同じ(笑))

 私のスピーチに続いて、「ウェルカム・ダンス」。子どもたちが、仏教歌に合わせて踊りを披露する。

踊りに始まり、踊りに終わる(笑)。手前にババサブ(アンベドカル博士)とインド初の女性教師の写真。

 この一週間、子どもたちはダンスの練習一辺倒。勉強が嫌いな子、学校に馴染めない子、先生を恐がる子もいるのだが、このダンス・ウィークで自信をつけて、学校にすっかり馴染む子も多いらしい。

 その後は、午後3時くらいまで、絶え間なく子供たちのダンスのお披露目。ビートの利いた仏教ソングと、ボリウッド映画などのヒット曲。

 インドの歌というのは、情熱的、抒情的で、抑揚豊かでスケールが大きい。文字化するなら「アァアアァアアア~♪」という感じ(?)。

 この地では、お祭りも葬式も、きまって歌を大音量で流す。とにかく歌の国。「しめやかに」という発想はない。

 その子供たちのお披露目を、地元の人たちが見物に来る。父兄だけではない。屋台も並ぶし、遠方の知人たちも、この機会にやって来る。子供たちの可愛らしいダンスを、心底楽しんでいる風情で眺めている。つまりは、これは村の余興である。


みんな楽しんでます^^。
 


●2日目も、ダンスで始まる(笑)。この日は、生徒たちが作った図画工作を見せてもらった。

 水が蒸発して雨になって地面に降りて川になって、という循環を、大きな紙に英語で描いた子は、まだ6歳半。この学校では、教科書は全部英語。日本の教育より進んでいるかも?

 噴火口のついた火山を作って、中にソーダ水を入れて見せる子がいたり、「ドリーム・ハウス」と題して、自分が将来住む家を作った少年がいたり――

彼の家には、衛星テレビのアンテナがあり、庭には若くてきれいな女性たちがはべっている(笑)。幼いのに、もう煩悩が(笑)。

 壇上で私が品評。ぜひとことん想像しよう。夢を描こう。「ドリーム・オブ・インディア(インドの夢)」をテーマに、絵でも工作でもアイデア(社会・環境のあり方)でも、自由に発表してほしい。来年は日本から景品を持ってくるからね、という話。

 その後は、再びダンス(笑)。3歳半の子どもたちの踊る様子が愛らしい。 

よくわかってないながらに飛び跳ねる姿が花マルです(笑)

椅子に座って眺めていると、大人も子供も「グッドモーニング」とか「ジャイビーム(こんにちは)」と挨拶してくる。

 インドでは、若い命がどんどん育っている。大人たちが、それを手助けする。子どもたちは、大人たちとの触れ合いに慣れているし、年に関係なく遊んだり、コミュニティの活動を手伝ったりしている。つながりが自然なのである。

 日本を明るい国にしようと思えば、子供たちを増やすことだ。子供が多い社会が、当たり前のなること。年寄りが、子供のことを「うるさい」といい、自分たちにお金をかけすぎている社会の構図は、ほんとはなんとかしたほうがいい。

 午後4時頃、全プログラムが終了。地べたにみなで座って食事会。ここでも地元の青年・子供たちが、よく働く。


社会奉仕は、当たり前。

●トライブ(移動部族)の女の子が、ひとりぽつんと隅っこに座っていた。姉妹を呼んでくるようにと伝えたら、両親もやってきた。

 女の子は、ダンス大会の間、最前列でじっと同い年の子どもたちが踊っている姿に見入っていた。ほんとは就学してよい年齢だが、学校には行っていないらしい。村外れの空き地にテントを張って、朝から晩までそこにいる。

 親子そろってご飯を食べている姿に、少し安堵した。


ひとり座っていたトライブの女の子
どう、おいしい?

 夜7時くらいまで、何回かに分けて数百人分の食事をふるまう。

 かなりの大仕事だが、ラケシュ、ミリン、プラヴィン、ナレシュら、日頃の仲間はもちろん、14歳のプラジワルや、17歳のダトゥらも、積極的に手伝う。

 婦人たちも、自然と集まってきて、食事の準備。こういうのは、居心地が悪いとできない。日本のPTAが不評なのは、互いへの関わり方を知らないからではないか。

 会場の解体作業が、深夜まで続いた。みんな、ほんとによく働く。

ダトゥは17歳。食べるの大好き。「将来を全然考えてない」と家族に文句いわれてます(笑)。
女性たちもよく手伝ってくれます。

●砂の道を歩いて、ラケシュの新居に向かった。今は冬だから、オリオン座やその他の星々が、みずみずしい光を放って見える。

 十年前にこの地にはじめてやってきて、ラケシュ、ディパック、ワスの三人と、バイクでこの星空の下を走った夜を思い出した。

 村の青年たちの多くは、まだ30代。だが、着実に年を重ねている。

 この活動は、彼らがいるからこそ回っている。もし私たちが一人ずつ、この星々の下から消えてしまったら、今ある活動も、静かに消えていくだろう。

 ここには稀有な善意をもって、社会に尽くしている人たちがいる。私もまた、その貴重な輪の中に遇している。

 考えてみれば、居場所というものを生まれてはじめて感じたのは、この土地だったかもしれない。

この場所には、求めるより与えることを自然に優先できる人たちがいる。私はそのことに敬意をもつ。

【出家、インドをゆく】あの時、ブッダは何に喜んだのか?


 夜、ナグプールからウダサ村へ、坊さんと初老の男性がやってきた。こうやってひとを呼んで私と交流させるのは、「人間フェイスブック」の異名をとるワスの算段だと決まっている(笑)。


とにかく交流大好きなおじさんワス(40代半ば)

 聞いてみると、二人とも、輪廻はブッダの教えだと頑なに信じている様子。はて、話が続くものかと思いつつ、会話を進めていった。

 原始仏典の話、瞑想修行の話、合理的な理解と思考の方法……相手の言葉を受けて、けして迎合することなく、ニュートラルに話を進めていく。

 すると、徐々に二人のリアクションが、私への異議や疑問ではなく、納得へと変わっていくことが、伝わってきた。

「輪廻とは妄想にすぎない。妄想から抜ければ、そのような物語は必要なくなる」

「苦しみには、さまざまな原因がある。心の苦しみの原因は、心にあるが、社会的な苦悩の原因は社会の側にある。

 政治・経済におけるシステムさえ変えれば解消できる苦しみもある。そこに輪廻は関係がない」

 そんな話になっていく。

 正しい道を実践すれば、来世を待つまでもなく、この人生において苦しみを抜けることができるのだ。そのクリアな道を説いたのがブッダである。

 妄想さえ抜ければ、苦しみも抜けられる。そして輪廻などの根拠なき妄想に縛られ続けることも止まる。

 そのときこそ、人間が悟った One’s got enlightened 時である。そのために気づきの修行をするのである。そういう話になっていった。

 面白かったのは、最初は輪廻こそがブッダの教えなんだと不機嫌そうに言い張っていた坊さんが、そのうち黙って、やがて目を輝かせて、私の話に耳を傾け始めたことだ。

 初老の男性も、最初とは明らかに違って、表情が生き生きしてきた。

「あなたは正しい You are right」

 と最終的に坊さんは言った。納得したらしい。


 彼が、伝統的な仏教への固執(思い込み)を抜け出し、短時間で新しい理解の可能性に目ざめていったのは、彼が不可触カーストの一員だからだろう。

 差別の苦しみの原因は、社会制度にある。その制度を作っているのは人間の心、特に妄想である、という話は、彼自身の過去の体験にてらして、「そうか!」と納得しやすいものだった。

 カーストも輪廻も「妄想」でしかない――これは、新しい理解であり、人生を根底から変えうるものであり、社会をも変えていく力を持つ真実である。

 その真実に立ちえた人間には、「汝は悟りに達したYou’ve got enlightened!」と声をかけるにふさわしい。

 かつてブッダは、輪廻の苦しみから抜ける方法を五人の修行者に説いた。苦しみつづける原因は、輪廻ではなく、心にあるのだと、ブッダは語った。

 ひとりの修行者コンダンニャが、そのとおりだと納得したとき、ブッダは「コンダンニャが悟った!」と喜びの声をあげた(サンユッタ・ニカーヤ)。

 そのときの光景に重なる思いがした。

 もし彼らモンク(職業僧侶)が、この現代インドにおいて、

「輪廻など幻想に過ぎない。
 人間の苦しみは、この一度きりの人生の中で越えることができる。
 その真実を悟った自分は、もはや世の不条理に支配されない」

 と高らかに宣言するに至れば、世の中は確実に変わっていくだろう。

 僧のみならず、すべての人々が、カースト? 輪廻? そんなものは、私にとってのダンマではない。It’s not my truth.と超然といえるようになるだろう。

 そういう〝抜けた人〟が増えていけば、それに感化される人も増えてくる。

 結果的に、社会は確実に変わっていくだろう。


 この日の体験は、私にとって新しい目を啓かせてくれるものであった。もしかすると、ひょっとすると、ブッダが試みたのは、こういうことだったのではないか、とふと感じた。

 それくらいに、劇的な変化を見た。正しい理解による喜びでひとの表情が輝いていく姿を、このインドの地ではじめて見た。

 二人とも、満足そうな顔をして帰って行った。

 そうか。そうなのか。この命の役割は、この地で、彼らが長らく支配されてきた「妄想」から抜けるすべを伝えることなのだ。

 この世界の不合理が、なにゆえに不合理なのか。その原因は何なのか。いかにすればその原因を抜けられるのか。それをクリアな言葉で伝えることが、使命なのだ。

 実に、これこそが、ブディズム(目覚めに至る方法)ではないか。

 自身のこの地での使命が、いっそう明確になった感のある夜の出来事であった。

サードゥ(善きかな)である。

州医師会での講演。ブディズムとは、妄想を抜ける道である。 

ジョルダンが悟った!と喜ぶ龍瞬(笑)。

【出家、インドをゆく】最高の快哉


 2017年2月9日、午後3時45分、ラケシュとその奥さんシタールの間に、子供が生まれた。

 2500グラムの小さな赤ちゃん。

 その日の午後に、シタールが、うんうんと苦しみ始めた。予定日は28日と聞いていたので、まさか今日出生するとは思っていなかった。

 ラケシュが車に病院に運んで――その午後、電話があった。

 その電話を受けたのは、車の中。後ろに乗っていた、私たちの学校の校長先生(ラワン)だった。

 That is a good news!(それはよい知らせだ)と、寡黙なラワンが珍しく英語で叫んだ。Second Rakesh is coming! (ラケシュ2世が来た)とも。

 実は、私はそのとき、ナグプール空港に向かう車の中だった。12日までにブッダガヤに入るため、移動中だったのである。

 私は、そのまま空港に送ってもらって、飛行機に乗った。しかし……機内で、どうにも静まらない気持ちを感じ始めた。

 90分ほどで、デリーに到着。ここから8時間待って、カルカッタに行き、そこからガヤへと乗り継ぐ予定だった。

 だが、空港内を移動しながら、よくよく考えた。私は何をしているのだろうと。

 今日、新しい命が生まれた。それだけで劇的な瞬間である。新しい歴史の最初の日である。

 しかも、その赤ちゃんは、あのラケシュの子どもなのだ。

 このままガヤに行ってしまえば、その子に会えるのは、ほぼ間違いなく、一年後の一月になる。

 一年もの間、ラケシュの子に会う時間を見過ごすのか? 新しい世界の始まりに、今一番近い位置にいながら、離れていってしまうのか。

 ――そう考えると、今自分が取り返しのつかないミスを犯しつつあるような、落ち着かない気持ちになってきた。

 12日までにガヤに着かねばならぬ理由はあった。だが、ナグプールで今起きていることの只中へと戻ること以上に、大事なことは、おそらく全生涯にわたっても、ふたつと無いような気がしてきた。

 国内線の乗り継ぎへと向かう途中で、気持ちは固まった――「戻ろう」。

 で、エアインディアのカウンターに行き、ガヤへのチケットをキャンセルし、新しいチケットを買った。不慮の出費だが、今していることの意義に値段はつけられまい。

 そして10日の午前5時15分の飛行機で、ナグプールに戻った。

 そして、ウダサ村から10分ほどの、ウムレッドという区域にある、産婦人科へ。

 部屋に入ると、母親になりたてのシタールがベッドに座っていた。まだ脱力状態のようで、表情に乏しい。出産に際して手術をしたらしく、痛みがあり、高い熱も発していた。

 その反対側の入り口手前のベッドに、毛布がたたんであった。

 付き添いの女性がその毛布を開いた中に、赤ちゃんがいた。恐ろしいほど、小さかった。

 まったく動くことなく、呼吸している気配さえほとんどない姿で、眠っていた。

 私はシタールの額に手のひらをあて、彼女の苦労と、この偉業に、ねぎらいと敬意とを送った。

 そして、生まれたての小さな命にも、手のひらを当て、生まれてきたことへの祝福と、これからの3人の幸福で善き日々を、心の底から祈念した。

「バンテジーに会いたくて、予定より早く生まれてきたんだと思う」と、ラケシュがいった。

 ふだんは合理のみを伝える私も、その説に同意したくなった。よく生まれてくれたものである。

 この子が急いで生まれ出てくれなかったら、私はこの子に会うチャンスを逸して、次の場所に移っていただろう。ギリギリ間に合っての、生涯最初の対面だった。

はじめまして


 ラケシュとは、2006年に、佐々井師の一団がブッダガヤへと向かう途中の、数ある車の中の一台に、本当に偶然に隣り合わせに座ったことが、縁である。

 そのとき、ラケシュは、はじめて髪を剃り、坊主の恰好をしていた。正式な出家ではなく、佐々井師の活動を演出するための「数日出家」団(笑)のひとりとして同行していた。

 私には、彼が「生まれ変わっても、僕は農民たちのために生きたい」と語った言葉が、深く印象に残った。

 今になって彼がいうのは、当時の彼は、まだ何をすべきか見えておらず、恰好だけ坊主にしてもらったものの、疑問も感じていた最中だったそうである。

 その彼は、私と出会って、ようやく道が見えて今に至っていると、言ってくれている。

 だが、私にしてみれば、彼との出会いがなければ、まず確実にインドには戻ってきていない。戻る理由は、ほぼないといっていい。

 仏教が本来持っていたはずの意味に、私が近づいてこられたのも、つまり――

 輪廻もカーストも、人間が我欲と妄想を持ってつくりだした物語でしかない。

 それは「正しい理解」に目を醒ましたときに、すべてわかる。そのとき人間は解放される――

 という理解が見えてきたのも、

 また、ブッダの教えの破格の合理性と、そこに秘められた社会を変えていく潜在的な力とを、私がつかみとることができたのも、

 ラケシュたちが、インドの現状を熱心に教えてくれて、私自身が啓蒙を受けたことが大きい。

(※なお、ブディズムというのは、非合理が蔓延していた古代インドにあって、人間が苦しみから解放されるための新しい思想・方法であったと思われる。

 この理解におそらく間違いは少ないと、私は感じている。これは、仏教以前のインドと、仏教滅亡後のインドを見渡したときに、そして現代における宗教の実態を見た時に抱く、私自身の確信である。)

 そして、人間的には、俗な言い方だが、かなわんなぁと思うところが、彼の中にはたくさんある。

 おそらく百年インドを旅し続けても、彼のような、聡明さと人徳と社会的な動機を持ちあわせた人間に出会うことは、ほぼ不可能であろう。

 それくらいの、すごい人である。

 その彼が、この十年、さまざまなつらい思いをしてきたこと、今も少なからぬ苦悩と孤独を抱えていることを、私はよく知っている。

 あの物静かな、尊敬という念を持つしかない、無二の友人であるラケシュが、これまでの私たちの出会いの物語のはてに、ついに父親になったのである。

 これほどの快哉があろうか。

 ちょうど、ゴータマが生まれ落ちたときに、アシタ仙人がわざわざカピラバストゥの城を訪れたように(笑)、私もまた、この歴史的な子供の誕生を、この目で確かめるために、龍の街(ナグプール)に戻ってきたのであった。

 私にとって、これほどの因縁を重ねた上で、その命のまさに始まりを目撃したという体験は、かつてない。

 私もまた、幸せな命のひとつなのであろうという、静かな感慨が湧いてきた。

 戻ってよかった。

新しい父と母

 産院のお医者さん夫婦に食事をいただき、その帰りに、学校への追加の寄付として、飲料水タンクを買った(50リットル用と、壺タイプ)。そろそろ猛暑の夏季である。 8人の女先生と176名の子供たちのために。

 さらに、翌朝5時半に、再び産院に行って、この旅最後の面会をした。

 母親のシタールが、朦朧とした顔で横になっていた。唇が白く渇き、額と手のひらに触れると、火傷をするかと思うくらいの高熱だった。

 泊まり込みで産後の手伝いをしていたのは、ウダサ村のディパックとミリンという名の青年たちの母親だった(看護師ではなく。インドではこうした互助の文化が、今も自然に生きている)。

 その二人に、水をたくさん飲ませるようにと伝えた。死んでしまうのでは、と思った。

 新しい命の、細く小さな指に触れると、握り返してきた。

 そして、なんと目を開いて、こちらを見た。大きくて黒い瞳であった。

 もちろんまだ、人の姿が映っているわけではないだろう。だが、まるでぎこちない動きのアニメかパペット人形のように、一所懸命、眼(まなこ)を動かして、外の世界に視線を送ろうとしていた。その先に、私の姿があった。

 そして、あむあむと口をも動かすのである。

 私は再び、その額を手のひらで包み、そして新しい父親と母親のために、念を送った。

「毎年、僕らは年を取る。Every year, we are getting old」と、この旅中のとある夜の村の道で、ラケシュと二人で立ち話をした。

 出会いから十年経って、確かに、着実に、私も、ラケシュも、村の人々も、動物たちも、年を取っている。

 そう遠くない未来に、きっとひとり、またひとりと、この世界から旅立っていくことになる。

 歳月は無常である。いつか、私も含めて、今生きている、この地の親しい人たちの、誰ひとりとして残っていないときが来る。

 それでも、そうした歳月の中に、こうした喜ばしい瞬間も、ときに起こる。無常だからこそ生まれる、新しい可能性の瞬間である。

 実に喜ばしいことであった。実に、歓ぶべきことであった。



 君の未来が、喜びと幸せに包まれるように――。


私も一緒に見守りますよ

























【出家、インドをゆく】インド版・アルプスの少女ハイジ?


2月第1週
外を歩く時には、カメラは欠かせない。この地では、必ず何かが起きているからだ。

近所の家には茶色の子牛がいる。行くときまって、母親の乳にすがりついている。

だが母親の乳房はすでに萎びていて、子牛は要求を成就できない。背丈も大きくなっているので、角度的に母親の腹の下に入りきれない様子。

つまりは母も子も、肉体的に乳離れ(自立)せねばならぬ時期らしい(うまくできている(笑))。

そろそろ離乳の時期らしいです

おはよう、と寄ってきます

向かいの家の少年ダトゥ(17歳)が飼っている黒い子犬は、ジョルダンという。

最初に会った時は、初見数秒でダッシュしてきて、お腹を見せて「撫で撫でして」とせがんできた。

病的な人懐こさである。

ジョルダンは、盛りのついた犬という形容を越えて、とにかく落ち着きがない。会うたびに一目散に飛び込んでくる(私の周りで踊り回ってひとりでコケたりしている。なにやってんだか)。


ニュートラル・ハンドの威力をみよ(笑)

仲良しだった犬のサンディは、なんと数カ月前に亡くなったという(!)。

同じ家に、今はラッキーという名の白い子犬がいる。この犬もすぐに懐いた。ビスケットをあげると、ハグハグと夢中で食べる。

ラッキーも、私のニュートラル・ハンドに味を占めたのか(笑)、すぐ腹を見せて撫で撫でを要求してくるようになった。


(※後日、ジョルダンとラッキーがダブルで「撫で撫でして~」と襲来してきた時があった。恐怖であった(笑)。)


近所の少年は、白い子ウサギを飼っていて、朝から膝に乗せて焚き火を手入れしていたりと、仲睦まじい。つないでいないのだが、逃げようとしない。


気になったのは、バイクに引かれて後ろ足が使えなくなった黒犬。最初は警戒して吠えていたが、チャイとビスケットを差し入れてやると、すぐ間近で食べるようになった。去ろうとすると後ろ足を引きずって、ついてこようとするのがせつない。

後ろ足不随の犬と近所の子供たち(PPAPやって!とせがんできます(笑))

ある日の午後には、隣の家の屋上に3匹の野ザルが出現。天干していた農家の収穫物を食べている様子。インドというのは、このあたりに余裕があって、動物が食べてしまうとわかっているのに、野ざらしのままにしている。

サルたちは全身灰色で体長が一メートル近くある。人間に姿が似ているので、近くで見ると存在感がものすごい。まるで宇宙人に遭遇したみたい(笑)。

野ザル3匹。この州ではヒョウも出没するとか。

そうそう、十年前に居候していたパワン氏の飼い犬ブーノも、昨年亡くなったのだそうだ。

トライブ(移動部族)のキャンプ地にいる生後数か月ほどの子犬は、すでに後ろ足を損傷しているし、全身に蠅がたかっていて、よく生きていられるなと思うくらいの弱弱しい風情である。

それでも私の姿を見ると、力なげに尻尾を振る。明らかに微笑んでいる。チャイを手酌であげると嬉々として飲む。無事大きくなれますように。


トライブの子たちと村の子供たち。右端に子犬。
お皿持参でチャイをあげました
不死身を思わせる健在ぶりが、ダトゥの家のニワトリである。黒を基調としたボディに、真紅、黄色、青、緑とカラフルな羽をよそおって、我が物顔で闊歩している。他の家に平然と穀物を食べに来るし。

ひょっとして村で最強?(と本人は思っているかも)

今回の訪問で、ずいぶん新しい友だちが増えた気がする(笑)。

いつの間にか旅立っていた友もいれば、新しい友もいる。

明らかにこの村の動物たちは、人間慣れしていて気さくである。

だから毎日、村を歩くのが楽しい。さながらアルプスの少女ハイジになった気分?である。

その頃、日本のサラちゃんは……とあるご家庭のコタツでぬくぬく