仏教講座スケジュール

●古い仏教のイメージから自由になりましょう。心の苦悩・現実の課題を越えてゆくことが、最も大事なこと。思い込みを捨てた時に、ブッダの教えの真髄がみえてきます。
●全国行脚、まもなくスタート! 講座、個人相談、法事など、ご希望者はご連絡下さい(クリック)
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●メール通信、配信中。
①お名前、②都道府県、③近況(本の感想・知ったきっかけ等も可)をひとこと 書いて koudounosato@gmail.com まで。※フリーメール着信拒否の設定になっていないか、ご確認ください。
●廃寺・空き寺・日本家屋を募集中! 生き方と教育と仏教をひとつの場所で――ご提供くださる方、ぜひご連絡ください。

全国行脚いよいよ北上!【8月日程&旅の記録つき】

7月28日
こんにちは、草薙龍瞬です。

暑いですね、という挨拶が定番ですが、私はほとんど反応しないようにしているので、暑さはあんまり感じません。

でも、あんまりよく眠れないので(冷房もないし)、心は疲れてないけど、体は夏バテ気味?というヘンな感じです(笑)。

インドのラケシュから連絡があって、今年から中学校がスタート(日本とは若干制度が違いますが)。学校運営も順調なようです。

今年1月に生まれたラケシュの男の子の名前は、なんと「リュウシュン」! 責任感じております……(笑)。


●全国行脚は、大阪編が終了して、いよいよ7月30日から北上します。日程お確かめの上、お近くの方はぜひお寄りください。

追加訪問先も、ひきつづき募集中です。お気軽にお声かけ下さい。勉強会・法話会、大歓迎です。

日 7月 30日
14:30 ~ 16:00
立川・法話会「風通しのよい暮らし方~ブッダに学ぶ心をラクにするヒント(お茶付) -
天王橋会館(1F学習室) 立川市一番町3-6-1 最寄り駅:西武新宿線 武蔵砂川駅より車で5分

月 7月 31日
午前 仙台・お茶会(希望者には個別にお知らせします)
午後盛岡入り ジュンク堂訪問

水 8月 2日
10:00 ~ 12:00
青森五所川原・法話会 - 隠れ家カフェカシェット http://cachettek.sblo.jp/

土 8月 5日
午後 新潟入り 良寛記念館訪問
日 8月 6日
13:00 ~ 15:00
新潟 「これでいいと納得できる人生のつくりかた」法話会 - 新潟市・クロスパル新潟 306講座室

金 8月 11日
13:00 ~ 15:30
愛媛今治「法話会・ブッダに学ぶ人間関係をラクにするヒント」 - しまなみアースランド学習棟:レクチャールーム

土 8月 12日
愛媛松山入り
月 8月 14日
13:30 ~ 16:00
愛媛宇和島「往生について~ひとの死・自分の死の迎え方」 宇和島市立 吉田中央公民館 第1会議室 愛媛県宇和島市吉田町西小路7

木 8月17日
10:00 ~ 11:30
福岡勉強会「こころのバランスの取り方」 - ジャパンマック(依存症リハビリセンター)http://japanmac.or.jp/jmacfukuoka/1001-sisetsu-shokai.html

日 8月 27日
13:00 ~ 15:00
愛知豊橋・お茶会 正しさにこだわらない~「心の使い方」

月 8月 28日
17:30 ~ 20:30
大阪朝日カルチャー『生き方としての仏教』~悩みが消えるブッダの超合理的考え方 - 朝日カルチャー中之島

火 8月 29日
10:30 ~ 12:00
名古屋「仏教は暮らしに役立つ「心の使いかた」 その5・人生の苦悩を「さとり」で越える - 〒460-0008 名古屋市中区栄4丁目1番1号 中日ビル4F  中日文化センター

19:00 ~ 21:00
講演「ストレスを癒すカギは『心の上手な使い方』 『反応しない練習』を実体験!」
関西生産性本部 - 大阪工業大学梅田キャンパス  大阪府大阪市北区茶屋町50番
★要手続 http://www.sentanjuku.com/kousi2017-1/r-kusanagi.htm
※JR大阪駅徒歩約5分、阪急梅田駅徒歩3分

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7月24日(月)

午後、海老名に到着。ファミレスで一仕事。行脚中は各地のファミレスでお世話になることが多い。特にジョナサンは電源を使わせてくれるのでありがたい。その土地に暮らす人たちの様子を見るだけでも、ほんのりと旅情を味わうことができる。

駅でKさんと待ち合わせてセンターへ。十数名の女性たちと高校生の娘さん。小学生から大学院生まで年代が違う子供たちを育てている現役のママさんたち。悩みも十人十色。親を務めることは、実に悩ましい。子供の勘違い・思い込みから始まる悩みもあれば、親の妄想しすぎ・業の影響で始まるもつれもある。

人間関係の基本としては、とにかく判断・妄想・抑圧・怒りなどをぶつけるのではなく、「よく理解する」ところから入るしかない。

ある女性は「風水にてらして」散らかしっぱなしの子供に怒ってしまう。しかしその風水は親のアタマの中にしかないから妄想(笑)。子供にはなぜ親がキレているのかわからない。ただ恐いからという理由で慌てて片づけるが、それではストレスが溜まる。そのうちいうことを聞かなくなる。あるいは親が恐いから、その場しのぎの嘘をついたり、ズルしたりするようになる。

親の思惑・感情・業をもってぶつかっても、子の心は言うことを聞かなくなるのだ。

もちろん子供の側の甘えや怠惰やずるさや思い込みもありうる。だがそうした部分は、親がコントロールできない、また親には見がたい領域。そこを親が「妄想」し始めると、どんどん親と子の距離は広がってしまう。

向き合う側の作法として何が最も確実かといえば、やはり「理解する」ことに落ち着くだろう。どんなときも、理解することから入ること。裁かず、期待をぶつけず、あれこれ妄想せず、徹底してよく見て、よく聞くことではないか。

心は、理解されれば喜びを感じ、勝手な判断や期待・妄想を向けられれば、不快を感じる。これは真理である。

終了後に、Kさん・Hさん・Nさんと、辻堂から参加してくれたK氏と食事。それぞれに子供に関する悩みを抱えていた。親というのは本当に大変だ。

小田急線で飯田橋へ。日付は変わっていた。


全国行脚2017始動 

7月18日

全国行脚・岸和田編、完遂。いやこれほど充溢の日程をすごせるとは。Nさんほか地元の方々に深く感謝である。車で運んでもらって、JR東岸和田から大阪⇒新大阪⇒名古屋を経て、中日文化センターにて仏教講座。

今日はサティの実践に加えて、八正道のテキストと、般若心経。三重の会員さんが来てくださっていた。

○○病院のOさんら3名。そして昨年夏に猫の死について相談しにきたカップル。「最近は幸せです」と女性。

午後は、相談3件。子の立場、親の立場、両方からの相談。仏教にめぐりあって過去の苦悩を越えた人の、「私が仏教にたどり着くまで」のライフストーリー。いろんな仏教書をみせてくれる。よく勉強されている。

私の過去の本につき「内容とタイトルが全然違う」という。あの本のことね(笑)。同感でございます。十善戒の部分をコピーして冷蔵庫に貼って、日々実践を心がけているそう。頭が下がります。

どの世界もそうだが、受け取る側が熱心誠実なのに、差し出す側はそうではないというのは、よくある話。この命はそうはあってはならない。

みずからの立場・役割を百パーセントきっちり果たすことである。自分で語る。自分で書く。自分で動く。全身全霊で瞬間瞬間を生きる。その覚悟にしっかり立ち切らねばならぬ。

ひとは、苦しみ続けるために生きているのではない。生まれた時に苦をすでに抱えていたわけでもない。

いっさいの苦は、この世界に生まれて以来、生きていく過程で背負ってきたもので、どんな苦しみも最初に存在したものはない。

となれば、生きているこの人生のなかで、苦しみをすべて降ろすことは可能である。心にはそもそも苦しみなどなかったのだから、その状態・境地に帰ることだ。

つまりは、苦しみの荷物を降ろし、もう一度、軽くて自由で解放された、本来の、天然の、自然[じねん]の心のあり方に、帰ることである。帰ってよいのである。

ただひとは、みずからの心を観るという発想も、そのすべも知らない。その意味で、無知なる生き物である。

親も、子も、すべての人間が、心をもって生きながら、その心を見つめて、心の苦しみを抜ける方法を知らない。

だから、過去の苦しみを抱えて、新たな苦しみを作り出し、どこまでも、重く、霧は晴れず、視界・見通しの悪すぎる道を、とぼとぼと「こっちでいいのかな、たぶんいいのだろう」という程度の手応えで歩いていく。やがてゆきづまる人も出てくる。その道のりを、無明の闇路と呼ぶことは可能である。

だが人間は、「正しい理解」という智慧の光――つまりは明瞭な方法――を持つことで、苦しみの霧の中を生きるのではなく、苦しみの霧を抜けることを、人生の目的にすることができる。

人生の重たく無駄な荷物を降ろして、身軽で解放された快適な心の状態で生きることを、めざすことができる。


人生に苦しみを伴うことは、事実かもしれないが、

人生の苦しみは、この人生のうちにすべて降ろしうることも、まぎれなき真実である。



その真実にめざめて、今いるその場所で、真摯に、誠実に、熱心に、心の苦を降ろして、解放されることをめざすことだ。
そうした生き方こそが、正しい生き方だ。苦を抜けることをめざして、その方法を心がけることこそが、生きることの意味である。

がんばれ、がんばれ、がんばれ、である。これはすべての人々への、そして己自身への呼びかけである。この世に生きる命はみな、しっかりと間違いなく正しいといえる方角をみすえ、思い出して、その道を歩いていくことだ。そうした人生であるならば、どこで旅立ちを迎えようとも、正しい道のりの途中にある。

正しい道のりの途中にあるという事実こそが、人生最高の意味であり、最高の納得、「よし」と思ってよい理由になる。そう思えた時、ひとは人生を成就している。


――そんな感慨を抱きつつ、明日の講座のために新幹線で東京に向かう。この時間帯は、仕事に疲れてシートに沈み込むスーツ姿の人たちが多い。車窓の外には、夜の帳に明滅する人家の明かりが見える。

あまりに忙しく駆け回った行脚最初の旅だったが、印象的だったのは、どこを訪れても、ひとのすまう家並があることだ。
 
その数だけ、私が見知らぬ人生がある――と思うと、せつなくなる。きっとあの家の一軒一軒のなかに、この命が一生出会うことのない、幸せも苦悩もあるであろう。あたかも、けしてつながることのない、遠い彼方の星々のように。私は、けして手が届かないことを知りながらも、手を延ばす。

これほどにひとさまの苦悩・暮らしのそばに近づき、ひとときをともにすごし、容易には見がたい苦悩の原因を見すえて、そこから抜ける方法を共有し、希望への明るい方角を見出す。

かくも創造的で、苦悩から幸福への一本の道すじを伸ばしている実感が持てる旅というのは、そうそうない。これほどの幸福、充溢、発見、貢献、そして感謝と友情を感じうる旅の形は、稀有である。この命は、幸せである。


電車は宵闇のなかを潜[くぐ]って、東京の街並みへと入っていく。艶[つや]めくビルの明かりが、どこか懐かしい。

行脚の旅は、ようやく始まったばかりである。光を越えるスピードで、日本各地を旅していく。


*訪問地、引き続き募集中です。
*ブログでの公開は、旅の記録の一部です。詳細版は、興道の里メール会員さんに随時配信していきます。全国行脚2017年旅の記録・完全版は、興道の里正規会員さんに後日お送りします。

すべりこんでいく 夜の東京